『COOL』は、世界で活躍するアーティストやニューヨークで注目のアートシーンなどを紹介していくアートマガジンです。創造するということ、かっこいいものを見ること、そこから感じる何かを世界中で共感できたらおもしろい!文化が違うとこんな違ったかっこよさもあるんだ!そんな発見・感動をしてもらえるボーダレスなアートマガジンを目指しています。現在、全米各地やカナダ、フランス、日本、中国などで発売中。誌面ではなかなか伝えられないタイムリーな情報や、バックナンバーに掲載されたインタビューなどをこのブログで公開していきます。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
水墨画を彷彿とさせる独特の美しい風景写真で人々を魅了し続ける写真家、マイケル・ケンナ。彼が毎年のように訪れているという北海道の地。この冬も、自身が「最も思い出深い場所」と語る屈斜路湖での撮影を行った。自然との対話の中から生まれた「最も美しい瞬間」をモノクロの世界に写し込んでゆく独自の世界観。豊かな感性と精神性に裏付けられたマイケル・ケンナの美学に迫る。
Q1.あなたの経歴および写真との出会いについて教えて下さい。
私は、1953年にイギリスのランカシャー地方にあるウィドネスという町で、労働者階級のアイルランド系カトリック教徒の家庭に、6人兄弟の末っ子として生まれました。私の家庭には芸術的伝統などまるでありませんでした。大人になるにつれて、カトリックの教会にとても感銘を受けるようになり、11歳になる前に、聖職者になるための訓練を受けるべく神学校に進学しました。その学校には17歳まで在学していました。それから私は、芸術に対しても大変強い関心を持っていたので、オックスフォードシャーにある「バンバリー・スクール・オブ・アート」に行くことにしたのです。さらに「ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティング」では3年間写真を学びました。その後は広告写真家のアシスタントとして、補助業務やモノクロでのプリントなどを担当しました。そして仕事の傍ら、趣味としての風景写真を撮り続けたのです。70年代の半ばにアメリカに渡った際には、ファインアートで生計を立てていく可能性を真剣に考えていました。ニューヨークにはたくさんの写真専門ギャラリーがあったし、そこでは、写真がアートのひとつの形として高い評価を受けているように見受けられたからです。それからサンフランシスコに活動の拠点を移し、しばらくの間その地に住みました。2004年からはオレゴン州のポートランド北部に移り住んでいます。
Q2. 初めてカメラを持ったのはいつ、どんなきっかけでしたか?
子供の頃から心の中で写真を撮影していたように思います。確実に影響を与えられたのは、70年代の初期にバンバリー・スクール・オブ・アートで学んでいた頃のことでしょう。写真はコースの授業の一環で、自分をさらけ出すことのできる、いくつもの芸術媒体のうちのひとつでした。私は周囲にあるもののイメージを作りました。それはとてもエキサイティングなことでした。
Q3. 影響を受けた写真家もしくはアーティストは誰ですか?
最初は、ファッション、広告、スポーツ、静物、フォトジャーナリズムなどの商業的な側面を学びました。ですから私は風景写真の深い歴史などは知らなかったのです。のちに、ビル・ブラントやジョセフ・スデック、ユージェーヌ・アジェ、そしてアルフレッド・スティーグリッツといった大家の作品を見ました。彼らの作品は、深遠で、印象的で、そして影響力がありました。他のコースでは美術史も学んでいたのですが、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ジョン・コンスタブル、そしてジョゼフ・ターナーには特に惹かれました。しかし、はっきりと誰から影響を受けたかというのは私にも分かりません。何千という画家、彫刻家、写真家、作家、ライター、音楽家、詩人、そういった人たちが自分に大きな影響を与えているのだと思います。もしも、その人たちの名前を全てリストアップしたとしたら、それはとんでもなく長いものになるでしょうね(笑)
Q4. あなたにとって写真の魅力とは?
たった一人で、夜、星明りの空の下にいるところを想像してみて下さい。静寂に耳を傾け、世界がゆっくり動いているところを眺めながら。考えること、想像すること、夢を見ること、そこにはすべての感覚が存在しています。カメラは目で見ることのできないものー累積する時間ーを見て、記録し、創造していきます。あるいは雪が降り積もる一本の見事な木として大地に立っているような感覚を想像して下さい。そこは一面真っ白で、雪が降り積もる音だけが聞こえます。私は写真を作る過程のほとんどすべての側面を(フィルムを現像する工程を除いて)愛しています。旅すること、探求すること、イメージを作ること、出来上がったばかりのコンタクトシートを見ること、プリントすること、展示すること、本を作ること、その他全てにおいてです。人生を通じてこの道を探し出すことができたのは幸運だったと思っています。それは私にとって、他に自分の時間を費やすのに良い道があったとは考えらないほどです。
Q5. どんな時に「写真を撮りたい」という衝動に駆られますか?
コンディションや場所、主題、精神的な繋がり、そういったものがひとつになる瞬間があります。それは非凡で特別な瞬間です。そういった場面に居合わせることができることは特権であり、景色と主観的な解釈を統合できる可能性を持つということです。少なくとも私にとっては筆舌に尽くしがたい経験なのです。
Q6. 今回の日本での撮影旅行で特に印象に残った場所や出来事は?
やっぱり北海道はいつ行っても素晴らしいですね。寒くて、広大で、孤独で、それでいて白く生き生きとしていて。私が写真に撮りたい雪や風や霧といった要素は、いつ行っても私に親切にしてくれるような気がします。撮影の合間には、太陽が顔を覗かせてしまうこともままありますが。しかしなんと言っても一番の思い出は、2002年、2004年そして2005年にも撮影した屈斜路(くっしゃろ)湖を再び訪れたことですね。その日はまだ暗いうちに到着しましたが、星が出ていて、驚くほど晴れた朝でした。私は雪を乱さないようにしながら木の周りを歩いていました。すると雲が出てきました。さらにグレーの霧が降りてきました。そしてしばしの静寂があり、すぐ近くで白鳥が素晴らしい夜明けのコーラスを奏でながら目を覚ましました。私は数時間のあいだ、ゆっくりと、近づきつつ、対話をしながら写真を撮りました。最後に私は木肌に触れ、「幸せなバレンタインデーを」と、彼女のために願いをかけました。そう、この日は2月14日の朝だったのです。
Q7.日本の風景のどこに魅せられるのですか?
日本の風景には私の故国イギリスに似た特徴があり、故郷を思い出させてくれます。日本は海に囲まれた島国です。何世紀もの間、そこで人が暮らし、働いてきたひとつの場所です。日本は地理的規模としては小さく、空間は密集しています。人々は潔癖で、規律があって、好意的で、よくゲストを歓迎してくれます。私は日本の土壌には力強い大気が存在しているように感じ、それと一体化するのです。私は記憶とストーリーを撮影することが好きなのですが、この美しい国を歩き回っていると、奇妙なことにまるで自分の故郷にいるような気持ちになるのです。だからこれからも(日本には)何度でも喜んで戻ってくることでしょう。
Q8. 7 1/2インチ(約19cm)四方というプリントサイズを選ぶのはなぜですか?
人が私の仕事を見たときにとても親しみ易く、かつ私の好みも反映されているサイズだからです。人間の目が焦点を合わせる際の視界はおよそ35度なので、見る人が作品から10インチ(およそ25.4cm)離れたところで最も良く見えるように意図されています。それはかなり近い距離ですが、私はそういう関わり合いかたが好きなんです。もっと大きいサイズのプリントは、より距離を必要としますからね。もう長い間ずっと同じサイズでプリントしてきましたが、30年も前の写真と、今日私が撮った写真とが幸せに共存できるというのがいいですね。ひとつの大きな、まるで幸せな家族のような…
Q9.今までに訪れたことのない場所で、次に訪れたい場所はどこですか?
撮影する場所はどの場所も友達のようなものです。友情を深めるために何度でも訪れたいですね。しかしいつも新しい友達は必要ありません。彼らは私の時間を取り上げてしまうでしょうから。大抵は写真を撮ったばかりの場所でしばらく時間を過ごすのが好きです。特に、中国、インド、日本、韓国ですね。旅の風が私を連れて行ってくれる場所で皆さんとお会いできるでしょう。いつ、どこへ行っても幸せですね。私は本当に旅行が好きなんです。
Q10. 写真家としてどんな瞬間に喜びを感じますか?
一瞬、喜び(Pleasure)ではなくて、プレッシャー(Pressure)と聞かれたのかと思いました(笑)そうですね、充実した人生のすべての局面において帳尻を合わせ、優先順位をつけるのは、時としてとても難しいことです。すべてのことを理想通りにするためには、一日に充分な時間、一年に充分な日、もしくは人生における充分な年数などありません。だから時には多少のプレッシャーもあります。そしてまたたくさんの喜びもあります。私は自分のやっていることを愛しているし、そしてそれは私に大きな満足感を与えてくれます。写真家であることはつまり、経験のために狩りをしているようなものです。私は自分の経験を感じ、それを写真に収めます。私は他の人たちがその経験を見ることができるようにするための仲介役として行動しているのです。もちろん私は、それらに自分の主観的な解釈に基づいて触れていますが、それでも私は案内役であり、ガイドなのです。少なくとも私の心と目は、世界の素晴らしさや不思議、感動的な美といった側面に目を向けているのです。果たしてそれ以上に大きな喜びが存在するでしょうか?
Q11. 愛用しているカメラは?
現在は使い古された年季物のハッセルブラッドを愛用しています。完全なマニュアルで、充電地も、デジタル画面も、かわいいベルや警告音も全くないタイプですよ(笑)でも極限の環境下でも動作可能で、かなりの信頼を寄せています。ハッセルブラッドは多機能だが重すぎない、これは私にとってとても重要な考慮すべき事です。フレーム全体をプリントでき、必要に応じてトリミングすることもできる、適正なサイズのネガフィルムを手にすることができます。もう20年近くこれらのカメラと一緒に仕事をしてきたので、もう手に取るように分かりますしね。デジタルの革命がこれ以上伝統的なフィルムや印刷用紙を生産する必要がないと命じるまでは、私はこの友好的な主力選手達と一緒にいるつもりです。
Q12.ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
もし私が知っていることがひとつあるとすれば、それは「私は何も知らない」ということです。最近私は、私に「答え」を求めるメールをたくさん頂くのです。それは「どうやって写真を撮ればいいのでしょうか?」とか「どうやって生きていけばいいでしょうか?」、「どうすればアートの世界で成功できるのでしょうか?」、「展示会を開くにはどうすればいいのでしょうか?」、「どうすれば本を出版できますか?」などなど…もちろん、それらに対する答えがあればいいのだけど、私は無いと思います。まあ、少なくても私はそう思うし、またそういった質問全てに返信しようとしたらフラストレーションが溜まってしまいますしね。おそらく良い人生を生きるだとか、成功するということの秘訣なんてないのではないでしょうか。一生懸命働くこと。今あるこの瞬間に生きること。責任感を持つこと。次のチャンスなんて来ないかも知れないんだから、人生を楽しまないとね!そして自分が大切にして欲しいと思う分だけ、他人のことを大切にしてあげることです。
オフィシャルサイト
www.michaelkenna.com
Q1.あなたの経歴および写真との出会いについて教えて下さい。
私は、1953年にイギリスのランカシャー地方にあるウィドネスという町で、労働者階級のアイルランド系カトリック教徒の家庭に、6人兄弟の末っ子として生まれました。私の家庭には芸術的伝統などまるでありませんでした。大人になるにつれて、カトリックの教会にとても感銘を受けるようになり、11歳になる前に、聖職者になるための訓練を受けるべく神学校に進学しました。その学校には17歳まで在学していました。それから私は、芸術に対しても大変強い関心を持っていたので、オックスフォードシャーにある「バンバリー・スクール・オブ・アート」に行くことにしたのです。さらに「ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティング」では3年間写真を学びました。その後は広告写真家のアシスタントとして、補助業務やモノクロでのプリントなどを担当しました。そして仕事の傍ら、趣味としての風景写真を撮り続けたのです。70年代の半ばにアメリカに渡った際には、ファインアートで生計を立てていく可能性を真剣に考えていました。ニューヨークにはたくさんの写真専門ギャラリーがあったし、そこでは、写真がアートのひとつの形として高い評価を受けているように見受けられたからです。それからサンフランシスコに活動の拠点を移し、しばらくの間その地に住みました。2004年からはオレゴン州のポートランド北部に移り住んでいます。
Q2. 初めてカメラを持ったのはいつ、どんなきっかけでしたか?
子供の頃から心の中で写真を撮影していたように思います。確実に影響を与えられたのは、70年代の初期にバンバリー・スクール・オブ・アートで学んでいた頃のことでしょう。写真はコースの授業の一環で、自分をさらけ出すことのできる、いくつもの芸術媒体のうちのひとつでした。私は周囲にあるもののイメージを作りました。それはとてもエキサイティングなことでした。
Q3. 影響を受けた写真家もしくはアーティストは誰ですか?
最初は、ファッション、広告、スポーツ、静物、フォトジャーナリズムなどの商業的な側面を学びました。ですから私は風景写真の深い歴史などは知らなかったのです。のちに、ビル・ブラントやジョセフ・スデック、ユージェーヌ・アジェ、そしてアルフレッド・スティーグリッツといった大家の作品を見ました。彼らの作品は、深遠で、印象的で、そして影響力がありました。他のコースでは美術史も学んでいたのですが、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ジョン・コンスタブル、そしてジョゼフ・ターナーには特に惹かれました。しかし、はっきりと誰から影響を受けたかというのは私にも分かりません。何千という画家、彫刻家、写真家、作家、ライター、音楽家、詩人、そういった人たちが自分に大きな影響を与えているのだと思います。もしも、その人たちの名前を全てリストアップしたとしたら、それはとんでもなく長いものになるでしょうね(笑)
Q4. あなたにとって写真の魅力とは?
たった一人で、夜、星明りの空の下にいるところを想像してみて下さい。静寂に耳を傾け、世界がゆっくり動いているところを眺めながら。考えること、想像すること、夢を見ること、そこにはすべての感覚が存在しています。カメラは目で見ることのできないものー累積する時間ーを見て、記録し、創造していきます。あるいは雪が降り積もる一本の見事な木として大地に立っているような感覚を想像して下さい。そこは一面真っ白で、雪が降り積もる音だけが聞こえます。私は写真を作る過程のほとんどすべての側面を(フィルムを現像する工程を除いて)愛しています。旅すること、探求すること、イメージを作ること、出来上がったばかりのコンタクトシートを見ること、プリントすること、展示すること、本を作ること、その他全てにおいてです。人生を通じてこの道を探し出すことができたのは幸運だったと思っています。それは私にとって、他に自分の時間を費やすのに良い道があったとは考えらないほどです。
Q5. どんな時に「写真を撮りたい」という衝動に駆られますか?
コンディションや場所、主題、精神的な繋がり、そういったものがひとつになる瞬間があります。それは非凡で特別な瞬間です。そういった場面に居合わせることができることは特権であり、景色と主観的な解釈を統合できる可能性を持つということです。少なくとも私にとっては筆舌に尽くしがたい経験なのです。
Q6. 今回の日本での撮影旅行で特に印象に残った場所や出来事は?
やっぱり北海道はいつ行っても素晴らしいですね。寒くて、広大で、孤独で、それでいて白く生き生きとしていて。私が写真に撮りたい雪や風や霧といった要素は、いつ行っても私に親切にしてくれるような気がします。撮影の合間には、太陽が顔を覗かせてしまうこともままありますが。しかしなんと言っても一番の思い出は、2002年、2004年そして2005年にも撮影した屈斜路(くっしゃろ)湖を再び訪れたことですね。その日はまだ暗いうちに到着しましたが、星が出ていて、驚くほど晴れた朝でした。私は雪を乱さないようにしながら木の周りを歩いていました。すると雲が出てきました。さらにグレーの霧が降りてきました。そしてしばしの静寂があり、すぐ近くで白鳥が素晴らしい夜明けのコーラスを奏でながら目を覚ましました。私は数時間のあいだ、ゆっくりと、近づきつつ、対話をしながら写真を撮りました。最後に私は木肌に触れ、「幸せなバレンタインデーを」と、彼女のために願いをかけました。そう、この日は2月14日の朝だったのです。
Kussharo Lake Tree, Kotan, Hokkaido, Japan, 2002 ©Michael Kenna/RAM
Q7.日本の風景のどこに魅せられるのですか?
日本の風景には私の故国イギリスに似た特徴があり、故郷を思い出させてくれます。日本は海に囲まれた島国です。何世紀もの間、そこで人が暮らし、働いてきたひとつの場所です。日本は地理的規模としては小さく、空間は密集しています。人々は潔癖で、規律があって、好意的で、よくゲストを歓迎してくれます。私は日本の土壌には力強い大気が存在しているように感じ、それと一体化するのです。私は記憶とストーリーを撮影することが好きなのですが、この美しい国を歩き回っていると、奇妙なことにまるで自分の故郷にいるような気持ちになるのです。だからこれからも(日本には)何度でも喜んで戻ってくることでしょう。
Q8. 7 1/2インチ(約19cm)四方というプリントサイズを選ぶのはなぜですか?
人が私の仕事を見たときにとても親しみ易く、かつ私の好みも反映されているサイズだからです。人間の目が焦点を合わせる際の視界はおよそ35度なので、見る人が作品から10インチ(およそ25.4cm)離れたところで最も良く見えるように意図されています。それはかなり近い距離ですが、私はそういう関わり合いかたが好きなんです。もっと大きいサイズのプリントは、より距離を必要としますからね。もう長い間ずっと同じサイズでプリントしてきましたが、30年も前の写真と、今日私が撮った写真とが幸せに共存できるというのがいいですね。ひとつの大きな、まるで幸せな家族のような…
Q9.今までに訪れたことのない場所で、次に訪れたい場所はどこですか?
撮影する場所はどの場所も友達のようなものです。友情を深めるために何度でも訪れたいですね。しかしいつも新しい友達は必要ありません。彼らは私の時間を取り上げてしまうでしょうから。大抵は写真を撮ったばかりの場所でしばらく時間を過ごすのが好きです。特に、中国、インド、日本、韓国ですね。旅の風が私を連れて行ってくれる場所で皆さんとお会いできるでしょう。いつ、どこへ行っても幸せですね。私は本当に旅行が好きなんです。
Q10. 写真家としてどんな瞬間に喜びを感じますか?
一瞬、喜び(Pleasure)ではなくて、プレッシャー(Pressure)と聞かれたのかと思いました(笑)そうですね、充実した人生のすべての局面において帳尻を合わせ、優先順位をつけるのは、時としてとても難しいことです。すべてのことを理想通りにするためには、一日に充分な時間、一年に充分な日、もしくは人生における充分な年数などありません。だから時には多少のプレッシャーもあります。そしてまたたくさんの喜びもあります。私は自分のやっていることを愛しているし、そしてそれは私に大きな満足感を与えてくれます。写真家であることはつまり、経験のために狩りをしているようなものです。私は自分の経験を感じ、それを写真に収めます。私は他の人たちがその経験を見ることができるようにするための仲介役として行動しているのです。もちろん私は、それらに自分の主観的な解釈に基づいて触れていますが、それでも私は案内役であり、ガイドなのです。少なくとも私の心と目は、世界の素晴らしさや不思議、感動的な美といった側面に目を向けているのです。果たしてそれ以上に大きな喜びが存在するでしょうか?
Q11. 愛用しているカメラは?
現在は使い古された年季物のハッセルブラッドを愛用しています。完全なマニュアルで、充電地も、デジタル画面も、かわいいベルや警告音も全くないタイプですよ(笑)でも極限の環境下でも動作可能で、かなりの信頼を寄せています。ハッセルブラッドは多機能だが重すぎない、これは私にとってとても重要な考慮すべき事です。フレーム全体をプリントでき、必要に応じてトリミングすることもできる、適正なサイズのネガフィルムを手にすることができます。もう20年近くこれらのカメラと一緒に仕事をしてきたので、もう手に取るように分かりますしね。デジタルの革命がこれ以上伝統的なフィルムや印刷用紙を生産する必要がないと命じるまでは、私はこの友好的な主力選手達と一緒にいるつもりです。
Pine Trees, Wolcheon, Gangwando, South Korea, 2007 ©Michael Kenna/RAM
Q12.ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
もし私が知っていることがひとつあるとすれば、それは「私は何も知らない」ということです。最近私は、私に「答え」を求めるメールをたくさん頂くのです。それは「どうやって写真を撮ればいいのでしょうか?」とか「どうやって生きていけばいいでしょうか?」、「どうすればアートの世界で成功できるのでしょうか?」、「展示会を開くにはどうすればいいのでしょうか?」、「どうすれば本を出版できますか?」などなど…もちろん、それらに対する答えがあればいいのだけど、私は無いと思います。まあ、少なくても私はそう思うし、またそういった質問全てに返信しようとしたらフラストレーションが溜まってしまいますしね。おそらく良い人生を生きるだとか、成功するということの秘訣なんてないのではないでしょうか。一生懸命働くこと。今あるこの瞬間に生きること。責任感を持つこと。次のチャンスなんて来ないかも知れないんだから、人生を楽しまないとね!そして自分が大切にして欲しいと思う分だけ、他人のことを大切にしてあげることです。
Interview by Kyoko Kobayashi, Photo©Michael Kenna/RAM
オフィシャルサイト
www.michaelkenna.com
PR
※Post new comment