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『COOL』は、世界で活躍するアーティストやニューヨークで注目のアートシーンなどを紹介していくアートマガジンです。創造するということ、かっこいいものを見ること、そこから感じる何かを世界中で共感できたらおもしろい!文化が違うとこんな違ったかっこよさもあるんだ!そんな発見・感動をしてもらえるボーダレスなアートマガジンを目指しています。現在、全米各地やカナダ、フランス、日本、中国などで発売中。誌面ではなかなか伝えられないタイムリーな情報や、バックナンバーに掲載されたインタビューなどをこのブログで公開していきます。
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オーディエンスの熱気で溢れ返ったライブ会場に陽気なリズムが響き渡る。そのリズムに合わせて身体が自然と反応し、それが連鎖的に広がり、ものの5分と経たないうちに会場にいる全人口が完璧に一体となったー


Brown Rice Family (以下BRF)は、ニューヨークを拠点に活動するルーツバンドだ。世界各国からこのアートの中心地に集まった総勢9名若者が、国も人種も性別も全てを取り払ってひとつになり、レゲエ、スカー、ロック、ジャズ、アフリカやジャマイカの伝統的なドラムなどが融合した個性溢れるリズムに乗せ、世界へ向けてメッセージを発信している。


BRFというバンド名の由来は、ボーカルとウクレレを担当するJoeと、ジンベ担当のYuichiの出会いにある。ニューヨークのシティーカレッジで出会った2人。Joeは、以前からブラウンライス(玄米)を食生活に取り入れていたYuichiに勧められ、自身も玄米食を始めたところ、それまでの生活が一変、心身ともに健康な生活がおくれるようになったという。そして、このシティーカレッジを中心に、1人また1人とメンバーが集まり始めた。こうしてブラウンライスがきっかけとなり、人種も性別も音楽性も異なる若者たちがひとつになっていった。


BRFの活動は音楽だけに留まらない。「人々の暮らしも、音楽も、全ては日々の健康で豊かな生活から」という信念に基づき、世界の各地から厳選した良質の天然素材だけを使用して作られた、BRFオリジナルブランドのハンドメイドソープの販売も手掛け、ニューヨーカーの間で密かな人気を集めている。また6月21日には、ブルックリンで行われる大規模な野外ライブイベント「Brooklyn Music Festival 09」への出演も決定し、ジャマイカなどを代表する大物ミュージシャンとともに熱いライブを繰り広げる。


音楽に国境など無い。全ての人々が人種も性別も越えて手を取りあい、心身ともに健康で豊かな生活をおくる、そんな世の中に少しでも近づけること、それがBRFの音楽に込められたメッセージなのだ。


Website: http://www.brownricefamily.com

MySpace: http://www.myspace.com/brownricefamily
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ピアニストとして世界中から称賛されるフジ子・ヘミング。心の美しい人たちは彼女の奏でる音色に涙を流すという。2008年6月には、パリのサル・ガヴォーで注目の若手ヴァイオリニスト、2002年にフランス文化勲章シュヴァリエを叙勲したローラン・コルシアとの共演を果たすなど、世界中を駆け巡り、数多くのコンサートで人々を魅了させてきた彼女の、猫と犬に囲まれたパリの住まいを訪ねた。

Q.幼少期からピアニストの母・大月投網子さんにピアノを習ったそうですが、ピアニストとして生きていくことはすでにその頃から決めていたのでしょうか?

母はピアノを教えただけで、私がピアニストになることは望んでいなかったの。ピアノを習い続けること、そして一流のピアニストになるまでにはすごくお金がかかるでしょ。スウェーデン人の父は日本にいなかったし、母はピアノ教師としてやっとの思いで家計を支えていた。子供の頃から、まわりの人たちが「フジ子は天才だ!将来、世界中の人に感動を与えるピアニストになる」って言う度に母は苦笑していたわ。子供ながら、周囲の絶賛と母の戸惑いという大きな狭間で、ピアニストになるべきなのか、すごく迷っていた。だから、小さい頃はピアニストになりたいと強く思うことはなかったわね。

Q.29歳でベルリン国立大学へ留学した時、ドイツでどんな生活をされていましたか?

当時の私は無国籍だったから、長い間外国へ行けなかった。赤十字認定の難民として、ドイツ国内でのみ勉強できるという条件で期待を胸に旅立った。でも正直あまりいい思い出はないの。いい人との出会いがなかったし、辛い思いをたくさんしたの。それでもね、今でも忘れられない嬉しい出来事があったわ。一流の新聞が私のコンサートに関する記事を載せて、驚くべき才能と絶賛してくれたの。日本ではそれまで新聞で取り上げられることがまずなかったから。

Q. フジ子さんの代表作と言われているフランツ・リストの「ラ・カンパネラ」を演奏されるとき、どのような思いで弾いていらっしゃるのでしょうか?

練習しているときはいろいろなイメージを思い浮かべながら弾いているけど、演奏中はほかのことを一切考えないで、集中している。聴いてくださる方が感激してくれるような演奏を、と思って無心になって弾いているの。「ラ・カンパネラ」が代表作って言われているけど、私はそう思ってない。若いときに「ラ・カンパネラ」を弾くことはまずなかった。どの作品も私は同じ気持ちで弾いているわ。死に物狂いで弾いたものはきちんと相手に伝わるから。

Q.同じくパリに住んでいたリストとご自分の生き方などになにか共通するものはありますか?

人を助けていることかしら。リストも色々な人を助けたわ。ロベルト・シューマンやフレデリック・ショパンなどを支えた心の広い人。ブダペストに、晩年のリストが聖職者として過ごした教会があるの。そこに行って、彼の人生について、彼の寛大な心について考えたりすることがある。

Q.今まで一番印象に残った演奏は?

どれも印象に残っている。うまくいった時もあるし、満足できなかった時もある。ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインが演奏会の後で舞台を掃除したら、引き落とした音符がバケツ一杯分くらい落ちていた、って言ったでしょ。その気持ち、とてもよく分かるわ。

Q.ピアニストとは、どのようにあるべきだとお考えでしょうか?

音楽は世界に共通する、ことばでは表せないものなの。素晴らしい天才たちがつくった作曲を私は再現しているの。その作曲家の精神を最高のコンディションで再現することがピアニストの役割ではないかしら。心の貧しい人が弾いても人を感激させることはないと私は思うわ。

Q.ニューヨーク同時多発テロ後の被災者救済のために1年間のCDの印税を全額寄付されたり、アフガニスタン難民のためにコンサートの出演料を寄付したりされています。こういった、いわゆるチャリティー活動をはじめるきっかけのようなものはありましたか?

そうね。無名時代から聖路加病院に行って、ヴォランティアというかたちで患者さんたちの前で弾いていたことかしら。その後NHKで私の関するドキュメンタリー番組が放送されて、1999年2月に私はたった一晩で有名になったの。今思えば、無料リサイタルを聴いてくださった方の中に、ドキュメンタリーの企画につなげてくださった方がいたのかもしれないわね。私は有名になって、収入が入りすぎた。だから、ピアニストとして活動して、人を助けるために収入を寄付することにしたわ。無名時代はお金がなくて困った時期もあった。でもね、今は多くの方に認められて毎日忙しく過ごしている。たまに昔の静かな生活が恋しくなる時もあるのよ。

Q.読書がお好きとのことですが、どのような書物がお好きなのですか。ピアノに影響を与えることはあるのでしょうか?

いろいろな人の自伝をよく読むの。あるとき、こんなことがあったわ。第一次世界大戦中にドイツに生きた20歳のごく普通の女性の日記をたまたまドイツの本屋さんで買ったの。表紙がセピア色でステキだったから気に入ってね。彼女の日常が綴られた日記には、戦時中の家族の苦難や、恋愛、看護婦として戦地で働いた様子などが記録されていて、ものすごく感激した。ある日、その本を飛行機の中に置き忘れてしまって、ことばでは言い表せないほど悔んだわ。特に有名な人の自伝という訳でもないので、絶版になっていて、もう二度と手に入ることはない本。でもね、しばらくして、置き忘れたその本が、親切な人の手から手に渡って世界中を回りまわって自分の手元に戻ってきたの。封筒にいろいろな国のスタンプが押されていてびっくりしたわ。こんなことってあるんだわ、と思って本当に感動した。

Q.クラシック以外で、どんな音楽を聴かれますか?

シャンソンが好きだわ。あまり賑やかすぎる音楽はあまり好きではないの。たまにレストランに行くんだけど、お店の中でかかっている音楽がよく聴こえる席を自然と選んでいることに気づくことがある。

Q.知的好奇心はアーティストに欠かせないものだと思いますか?

ピアニストになりたい、音楽家になりたい、と思って音楽学校に通っていることに満足していてはいけないのではないかしら。映画館に行ったり、歌舞伎を観に行ったり、とにかくあらゆるものを自分の目で見て、肥やしにすることが大事だと思うの。そうでないと、人を感激させるような演奏家にはなれないわ。

Q.小さな頃から絵を描いていたそうですが、当時はどんな絵を描くのがお好きでしたか?

はじめはお人形さんの絵が多かったわ。小学校の時、校内で一番うまいと褒められて、すごく嬉しかったのをよく覚えている。絵の技術を習ったことなんて一度もない。好きだから描いている、それだけなの。

Q.2007年12月~2008年1月にかけて、パリのサンジェルマン界隈のギャラリー街にあるアトリエ・ヴィスコンティでフジ子さんの個展が開かれました。画家としても活動されているフジコさんにとって、絵と音楽はどのようなつながりを持っていますか?

素晴らしい感受性を持っている人は私の絵と音楽を同じように認めてくれるの。若い時というのは、自分の才能に気づかないことがある。まわりがいくら才能を認めてくれても当の本人にはピンと来ていないの。だんだん経験を積むと、ほかの人よりも優れているのかどうか分かってくる。ピアノと同じように、絵の才能もみんなに認められようとして、ハガキ一枚一枚に違う絵を描いて世界中に送ったの。有名な指揮者や演奏家たちに。そうしたら、私のピアノを認めてくれている人たちはみんな絵に感激して、とても嬉しかったわ。それとね、絵って好きか嫌いか、それだけだと思うの。絵がどうあるべきかなんて誰も知らないのよ。理論じゃないの。ある日、下北沢を歩いていたら、若い女性に声をかけられて、「私は音楽のことは分からないけど、フジ子さんの絵が一番好きです」って言ってくれたの。すごく嬉しかったわ。賞などを取ることよりも、一番好きという気持ちで私には充分、それだけでいいの。

Q.昔からパリに憧れていたそうですが、どんなところに魅力を感じるのですか?

パリに憧れていたのは、素晴らしい芸術家が集まった場所から。大好きなモディリアーニやロートレックは売れない絵を描いていた。彼らは優れすぎていたから認められなかったって私は信じている。ゴッホだってゴーギャンだって売れなかった。彼らの伝記を読んですごく勇気をもらったわ。元牧師だったゴッホは貧しい生活をしていたのに、ベルギーで大洪水があったときに、あるだけのお金を出して支援をしたの。素晴らしい人生だと思うわ。

それとね、パリは芸術の都と言われているけど、本当だなと思う。パリジャンたちもそうよ。家にいる時、窓から道ゆく人を眺めるのが好きなんだけど、ステキな人が歩いている。窓から見下ろしているので顔ははっきり見えないけど、教養があると姿に現れるのよ。そういう人を見ると、その人にしかない人間の温かみのようなものを感じるの。その度に生きていてよかった、と思う。さまざまな影響って、ものから人へよりも、人から人への方が大きいと思うわ。あとはね、パリの好きなところは、見ず知らずの人でも目が合うと、にこっと笑うところが好き。

Q.恋すること、恋の力は芸術に大きな影響を与えるのでしょうか?

どうなのかしらね。失恋するとピアノが上手くなるってよくいうけど、まあ本当かもね。恋をしていると、酔っ払っているみたいな状態じゃない?バカになっちゃう。でもね、恋もしたことがない人のピアノってはたして人を感動させられるかしら?

Q.芸術とはどんなものとお考えですか?

美しいものを追い求めること。それと教養を高めていかないともといいものがつくれない。
偽者か本物か見極める目を養っていくことも大切ね。

Q.今までのフジ子さんの人生を支えてきた「言葉」や思い出のものは?

いっぱいあるわ。中でも旧約聖書のハバクク書2章3節、「たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない」。有名になる1ヶ月前に、ある教会に行って、神様から預言者ハバククへのこのお告げが書かれた小冊子をもらったの。いつか才能を認められる日が来る、だからそれまで辛抱するのだ、という神様からのメッセージだと思ったわ。今でもその冊子は大切に持っているの。神様は私にさまざまな苦労も含めて、いろいろな経験をさせてくださったのだ、って後で思ったわ。今までの人生で、どれだけ無駄な時間を費やしたのだろう!なんて思ったこともあったけど、結局全て私の糧になったの。本当に一生懸命頑張ったことは、無駄になんてならないのよ。人間って100%完璧な人なんて一人もいない。ある人はこんなことが得意で、また別な人は違うことで長けている。みんなの力が合わさると強くなるの。

Q.今後のご予定を聞かせていただけますか?

新しい芸術家が現れて、一緒に演奏したいと言ってくれているから、楽しみなことがいっぱい。新しい音楽が次々に誕生して、クラシック離れが進む中、多くの皆さんが私の演奏を聴きたいと思ってくれるのが何よりも嬉しいの。


Interview by Chiho Yoda, Photo by Masatoshi Uenaka

Special Thanks Appel Film, Remi Igarashi


チェロ、トロンボーンと2つの異なる楽器を駆使する稀有なアーティスト、Dana Leong。その名が今、急速に世界に広まりつつある。数年前にNYでライブ演奏を見た時はまだどこかあどけなさが残る青年であったが、その当時から既に存在感のあるプレイを聴かせていた。その後クラッシックからジャズ、ヒップホップ、R&B等様々なジャンルのトッププレイヤーと共演、映画やファッションショーでのパフォーマンス等の経験を積んで、その才能をさらに磨きをかけるため日々の努力を続けている。今年の春、待望のデビューアルバム『LEAVING NEW YORK』をリリースした。彼の瑞々しい感性と様々な要素の有機的な融合を見せ、新しい可能性溢れるサウンドが今、ニューヨークから世界へ向けて羽ばたこうとしている。


COOL : 子供の頃はどんな音楽環境で育ちましたか?

DL : 子供の頃の音楽環境はとても活気に満ちていたよ。僕はとても感受性の強い子供で、いつもエネルギーが有り余っていて非常に活動的だった。毎日僕にピアノを教えてくれていたシングルマザーの母と、バイオリニストになる為に練習を重ねていた兄のもとで育ったので、音楽的にものすごく恵まれていたんだ。兄の練習部屋の隣で生活をしていたから、18歳までには殆どのメジャーなバイオリンコンチェルトを自然と覚えていたよ。何年かピアノを学んでからバイオリンを習い始めて、その後にチェロとトロンボーンを始めた。母は僕をスクールバンドとオーケストラに参加させようとしていて、その構想をサンタクロースの話に巧くすり替えて、僕が8歳の時のクリスマスにサンタがチェロを、翌年にはトロンボーンをプレゼントしてくれたんだ。
それから僕は学校の勉強をしながら、両方の楽器のプライベートレッスンを受け始めた。そうやって自然にクラシック音楽を聴いていたんだけど、実は80年代当時に流行っていたロックやヘビーメタルを密かに崇拝しててね。母が出かけて留守番する機会があれば必ずヘビーメタルをかけて、疲れきって息がきれるまでソファーの上で飛び跳ねていたな。ジョン・ウィリアムスの映画のサウンドトラックも好きでよく聴きに行っていたよ。


C : どんな人に影響を受けてきましたか?

DL : 当然ながら僕の人生に於いて最初に多大な影響を与えたのは僕の母親かな。母は僕がお腹にいる時もピアノを弾いていたんだ。僕が1歳の時、母は僕をピアノに座らせて鍵盤と遊ばせていたんだけど、驚いた事に、僕は当時から(同じピッチで高音域と低音域に位置する)鍵盤の8音を判別して聞き分けていたそうなんだ。


C : あなたのインスピレーションやアイデアはどこからくるのですか?

DL : いろいろな方法があるけれど、まず言えるのは、集中し専念する事。初めは単なる模倣だったけど、今は僕が音楽を提供する他のプレイヤーに対して、ライブ演奏の時はその時の状況や環境、観客に対して心を集中させるようになった。次に、この世に存在するたくさんの音楽。僕は好きな音楽を聴きながら、常に新鮮なサウンドを探している。もうひとつは楽器から。その理由として僕は音楽を作る時、なるべく熟練したテクニックを使わないようにしているんだ。そうすることで誰もが新鮮でやりがいを感じられる。例えばただ一日中座って、僕が簡単に演奏出来るような曲を作っても、何も新しいものは生まれてこないよね?どんな方法にしても、自分だけの個性と演奏スタイルを発見したら、それを記録しておくことはとても重要だよ。




C : あなたはヨーコ・オノやスティーブン・スピルバーグといったトップアーティストと一緒に仕事をされていますが、そういった人達は、あなたの音楽キャリアにどんな影響を与えていますか?

DL : 彼女のようなアイコン的存在の人や、長年第一線で活躍している人と一緒に仕事をすることをとても光栄に思っていて、いつもエキサイティングしているんだ。
自分がどんな人間であれ、常に更なる成長の余地があるということを再認識させられるよ。スティーブン・スピルバーグに出会う前、彼は子供のように純真で常に周囲を質問攻めにし、誰からも何かを学びたがる人だという噂を聞いていた。「The Terminal」という映画を制作しているとき、実際に彼と会う機会があって、その噂は本当だと感じたね。僕は自分自身が好きになれるサウンドを常に探している。もし誰かが僕を惹きつける何かを持っていたらその機会を逃さない。幸運にも僕はこの上ないほどに才能ある仲間に囲まれているんだ。僕もスピルバーグのように周囲を質問攻めにする。彼らも僕がその答えを吸収して、常に新しい発展へのステップにしていることを理解してくれているんだ。


C : 現在のニューヨークのミュージックシーンについてどのように思いますか?

DL : アーティストにとってニューヨークで暮らすということは決して簡単ではないと思う。これといった目標もなく標準的な生活をするのはとても難しい。周囲の環境によって左右される心理状態が僕の作品にも直接影響する。僕は現実的なフィーリングに影響を受けやすいんだ。人々は多くの不満を抱えていて、その対象は政府、離職率、物価の上昇、アートへの資金不足、税金の不正流用など、数えればきりがない。それによって僕達のコミュニティとアートシーンは被害を受けているけれども、ポジティブな面もたくさんある。僕は情熱的に良い音楽をサポートしている人々を見つけることに全力を注いでいる。これだけ多くの新しいテクノロジーが次々と現れ、社会的には僕らがどの方向へ向かっているのかを判断するのは難しいけど、僕はイニシアチブを取っている自分と気の合う若者達と出会っているし、将来が楽しみな才能ある人々にもたくさん出会っている。NYは伝統、文化、チャンスが最大レベルで実行され、バラエティを持ち、共存する場所なんだ。


C : ニューヨークでミュージシャンとして仕事をする上で大事なことは?

DL : 僕にとって人生とは日に日に向上してゆくもので、もしそうでなければ変化をすべき時なんだと思う。ニューヨークに来たその日から、仕事でも私生活でも同じ事が言える。非常にベーシックなことがずっと僕の中に染み付いているんだ。僕にとって重要なのは、夢に向かって行動する、常にハードワークをして自分のベストを引き出す、物事を吸収し自分を成長させる、あとはそれを持続させる事かな。


C : ライブ演奏をしている時、何を感じていますか?

DL : ライブは僕の人生の一部だよ。将来どう感じるかはわからないけれど、今はいろんな意味で僕はライブを、ロマンチックな場面で得られる関係と、スポーツをしている時の興奮、チームワーク、競争、そしてアドレナリンが混じったものが交差したような感じかな。自分がリードしたりリードされたり、サポートしたりされたり、同調したり意見を述べたり。「真のパフォーマー」と呼ばれるようなアーティストが少なくなっているけれど、「真の音楽」は確かに存在しているんだ。


C : デビューアルバム『LEAVING NEW YORK』について教えて下さい。

DL : これは2006年3月にデビューアルバムとして自主制作でリリースしたもので、タイトルの『LEAVING NEW YORK』は、世界に僕達の音楽というギフトを与えるという意味の比喩的シンボルなんだ。僕達は自分達だけの為、あるいはニューヨークの為に音楽を作るのではなく、世界中の全ての人々に向けて作っているんだ。僕の大好きなミュージシャンも参加していて、僕のオリジナルの曲をプレイしてくれている。このCDでは様々なことを試みているよ。僕は以前から自分のバンドを持ってみたいと思っていた。それと同様に、「Chamber Music」、「Cinematic Harmony」やキャッチーなグルーヴに対する僕の愛情が自然に融合する音楽を作りたかった。「Cinematic Harmony」というのは、よく映画で耳にするような、豪華でダイナミックなオーケストラサウンドのことを指して僕が使用している表現なんだけど、B3オルガンやMoog(keybords)、ドラムを使ってファンクやグルーヴの要素も取り入れている。アルバムの仕上がりにはとても満足していて、皆本当によくやってくれたと思う。現在は2枚目のアルバムを制作しているところで、前作よりファンキーなものにするつもりだよ。


C : 最近の活動について教えて下さい。

DL : ニューヨークにある「Jazz Gallery」というジャズスポットでの月別シリーズをプロデュースしていて、才能あるミュージシャン達が僕の音楽を演奏してくれているよ。僕は才能ある人を発掘するのが好きで、皆それぞれ世界中から集まっているオリジナルで個性的なミュージシャン達なんだ。チリ出身の Claudia Acuna (Vocal)、コロンビア出身の Edmar Castaneda (Harp),、ニューヨークのミュージシャン、Jason Lindner (Piano)、Baba Israel (Rapper)、Miya Masaoka (Koto)、and Josh Roseman (Trombone)と挙げればきりがない。これからももっといろんなことを学んでいけるよう、僕をインスパイアしてくれるたくさんの人達と出会い続けたいね。次の目標は2ndアルバムを完成させる事!人々が僕の音楽を楽しんで聴いてくれるといいな。



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Dana Leong (チェロ、トロンボーン奏者、作曲家、プロデューサー)

サンフランシスコ生まれ。幼少の頃より日本人である母の指導のもとで音楽スキルを習得する。マンハッタン・スクール・オブ・ミュージックにてチェロとトロンボーンを学んだ後、Paquito D'Rivera(clarinet)、Dafnis Prieto(drum-set)、Henry Threadgill(saxophone)等をはじめとする、様々なジャンルのトップアーティストと共演し高い評価を受ける。過去にスティーブン・スピルバーグ監督の映画「The Terminal」に出演、その他デザイナーAlexander Hercovitch、Dianne von Furstenberg等ファッションイベントとのコラボレーションも行っている。2006年3月にデビューアルバム「LEAVING NEW YORK」をリリース。ニューヨークを拠点として、アメリカ国内や海外でも精力的に演奏活動を続けている。

http://www.myspace.com/DanaLeonG
http://www.DanaLeonG.com


interview by Chihiro TAKAHASHI

最先端をリードするDJたちによって、ニューヨークの音楽シーン、クラブシーンは日々進化している。この激動するシーンを、今ニューヨークで最もホットなゲイクラブ「XL」のレジデントDJである DJ Gomi と、“Mash-Up”というDJスタイルの先駆者 DJ Babyblu が語ってくれた。

COOL:どのようにして「XL」や「B.E.D.」での仕事を手に入れたのですか?

DJ GOMI:パフォーマーでダンサーでシンガーでもあるアーティストのケビン・アビアンスと一緒に仕事をしていたんだけど、彼が「XL」のオーナーを紹介してくれたんだ。実は、世界的に有名なDJのジュニア・バスケスと知り合える機会も彼が与えてくれた。どうしてもジュニアと仕事がしたかったので、毎週彼が回しているクラブに行っては、デモを渡し続けてね。それが実ってジュニアと仕事できることになったんだ。

DJ Babyblu:1人で必死にここまでよじ登ってきたね。マネージャーもいないし。初めは無償で、もしくはビールが飲めるというだけでプレイしたよ。それで、誰かが気に入ってくれたら、どこかのクラブで使ってくれる。そんな感じで、ここまで来るのも時間が掛かったよ。

C:生き馬の目を抜くようなこの街で、どのようにしてトップを維持しているのですか。

BB:闇雲にイベントに参加するんじゃんなくて、自分が求めている業界の人たちと出会えるようなイベントを選んで出かけることが重要かな。毎日、山ほどのEメールやパーティーの招待を受け取るし、その全部に出かけるのは不可能。だから、関係を続けたいと思うような人たちに会えるパーティーを選ぶんだ。

G:ラジオを聞いて、今何が流行っているのかをチェックする。それから、発売されたばかりの新しい曲を友達がEメールで送ってくれる。僕は新しい曲を使うのが好きだから、毎週レコード屋に行っては数百枚のレコードを一通りチェックするのは習慣になってるね。全部は聴けないので、さわりを聴くだけだけど。

C:Babybluさんは新しいテクノロジーを使うのが好きではないと聞きましたが。

BB:DJはCDじゃなくて、レコードをプレーするべきだと思うんだ。僕はレコード盤崇拝者なんでね。

G:じゃあ、コンピュターも好きじゃないの?僕は、いつも新しいテクノロージーを歓迎するし、それをいち早く取り入れたいと思っている。

BB:“ファイナル・スクラッチ”を使っているDJを見たことがある。それは、とても感動的なものだったし、導入したいとも思うよ。

G : “ファイナル・スクラッチ”の感想は?

BB: 基本的にレコード盤だけでDJするのはとてもフィジカルな技術を必要とするよね。でも、
”ファイナル・スクラッチ”を使うと、あらゆる情報をコンピューターに取り込むので、DJはただ2枚のレコードを回すだけになる。ただ作業がシンプルになる分、より可能性が生まれるとも言えるかな。

G:DJたちは独自の技術やテクノロジーを日々開発している。例えば、CDプレーヤーはターンテーブルに取って代わってきているように。それは、ターンテーブルには無い機能があるから。そういう意味では、芸術的進歩は科学的進歩と密接に関わっていると言えるんじゃないかな。

BB:テクノロジーは、常に全てのことにおいて影響を及ぼすんだ。常にね。でも、それはあんまりロマンティックじゃないよね。人々はどれだけテクノロジーを取り入れて、時代を先取りしているかを考えたがる。まさにヒップホップなんかはテクノロジーがなかったら生まれなかった。

G:ベイビーブルーのテクニックといえば“マッシュ・アップ(複数の曲を一つの曲に合成する音楽製作手法の一つ)" でしょう。

BB: “マッシュ・アップ”は僕の人生みたいなもの。ミックスをあらかじめ録音しておくのは、ズルしているみたいで嫌だし、パフォーマンスしてる時に録音されたCDを流すのはつまらない。いつも何かをしていたいんだ。だから、その場で“マッシュ・アップ”するのが僕のスタイルさ。

G:アカペラやインストルメンタルのバージョンはオリジナル?

BB:僕はいつもオリジナルしか使わない。例えば、ボンジョビとハウスミュージックの「スター・ダスト」のミックスとか。できるだけ違う曲を組み合わせる。つまり、コーヒーにクリームを入れるとおいしい飲み物ができるよね。反対にクリームとクリームじゃ、ヘビークリームになってしまうし、コーヒーとコーヒーじゃ苦いコーヒーができるだけだ。違うものはお互いに引き立て合うっていうのが僕の哲学。

G:ハウスミュージックをミックスする理由は曲をスムーズにするため。これで、9分の曲だって作れてしまうんだ。だから、ハウスのDJは15時間だってプレーし続けられる。

BB : トイレに行きたくなるまではね(笑)。

G : そう、人で溢れ返っているところでトイレに行きたくなったら、もう悪夢だね。10分くらいのできるだけ長い曲を掛けてから(トイレに)直行するよ。

BB:でも、時間って無慈悲に経つんだよね。だから、時々、男子トイレも女子トイレも関係なく、空いてるのを使うしかないことがある。もし、列ができてたら「先に行ってもいい?」とか言ってね。大体みんなナイスなんだけど、たまに嫌なやつもいる。ちょっと目を離した隙にDJブースに入り込んで、勝手にDJし始める輩もいるんだ。

C:他の国に比べて、ニューヨークのオーディエンスはどうですか?

G:日本とニューヨークのお客さんを比べると、ニューヨークのほうが我がままかな?もし、選曲を1つでもし損なったら、すぐにブーイングを始めるんだ。特にゲイクラブは厳しい。彼らは耳が肥えているので、いい仕事をしなかったら直接ブースまで来て文句を言って、そそくさとクラブを出てしまうんだ。

BB:ニューヨークってのは、例えばロバート・デ・ニーロが入ってきて隣の席に座っても全く気付かないふりをするような所。ここに住んでるみんなが自分のことを恐ろしく重要人物だと思ってるんだ。ニューヨークは刺激的な街だけど、自信過剰や勘違いした人も多い。ロンドンやスペインでパフォーマンスすると、観客はただ単純に楽しみたくて興奮するんだ。それに比べてニューヨークは、シャンパン片手にベルベットのロープの後ろで、ふんぞり返ってるのがいいっていうイメージがあるみたい。

C:今までで、(DJをやっていて)一番印象に残っていることは何ですか?

G:ありすぎるね。毎週何かが起こるから。でもあえて挙げるなら、田舎のクラブでの出来事かな。そこは、サウンドシステムが最悪だったんだ。それで、たまたまトイレに行ってる途中で電気が落ちちゃった。僕はトイレの最中だし、音楽は切れちゃうし、みんな踊るの止めちゃって。それが一晩のうちで何回も起こったんだ。

BB:「WAX」っていうクラブでよくプレーしたんだけど、ワックスっていうだけにロウソクがクラブ中にあったんだ。ある時、いきなり男がバーの上に立って、ロウソクを体中にたらし出したかと思うと、女の子がブースまで来て、「おニューの下着見たいでしょ」ってドレスをめくり上げたんだ。問題なのは、有名なDJたちはフレンドリーじゃなくちゃいけないってことさ。でも僕の場合、DJしてる時はあまり話にのれないんだよね。

C:これからもニューヨークに住み続けるつもりですか?

G:うーん、分からないな。でも、今アジアのほうは刺激的で面白くなってきてるよね。アジアの国に行くと、決まって何かが起こるんじゃないかっていう、わくわくした気持ちにさせられるんだ。いつも最も刺激的な街にいたいと思っているからね。

BB:しばらくはニューヨークにいるつもり。でも、いつかは日本で住むか、少なくともそこでDJしたいと思っているよ。



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DJ GOMI
バークリー音楽学院卒業。ニューヨークのクラブ「XL」のレジデントDJ。マドンナやマライヤ・キャリー、その他多くのアーティストの曲を手がけ、伝説的なDJ、ジュニア・バスケスのメイン・プログラマー。最も新しいリミックスはジェシカ・シンプソンの"These Boots Are Made For Walkin'"に収録されている。
http://ggv.net/

DJ Babyblu
「マッシュ・アップ」というDJスタイルの先駆者。MobyやDirty Vegasなど、多くのアーティスト共演。TV、映画、ニューヨーク、ロンドン、バルセロナなどのファッションショーの音楽を手がける。
http://www.djbabyblu.com/



text by Ayumi UEDA & Takuya KATSUMURA, photo by Akiko TOHNO

2005年1月12日、NYのWest Villageのライブ・ハウスS.O.B.’sでマンディ満ちるのライブが行われた。ライブ1時間前の忙しいヘアー・メイク中に取材に応じてくれた彼女は大変気さくで、とても一児の母親とは思えない抜群のスタイルと、綺麗な長い黒髪がとても魅力的だった。そんな彼女の現在の音楽に対する思いについて語ってもらった。

Monday:とりあえずありのままの自分を表現できればいいと思っています。(詞を)書く時は、自分の伝えたいことや、世界で今何が起こっているのかも考えつつコンセプトを考えるのですが、音源は自然に頭に浮かんでくるコードやメロディーに任せます。最近は曲作りに関してのこだわりは昔に比べて凄くありますね。後はもうただ楽しく、上手くできればいいなと考えています。

COOL:上手くできれば・・・と考えるのですか?

M:今は子供がいるので以前のように毎日練習できないのです。声って筋肉で出るものだから、急に人前に立つと、長い間運動していなかったのにいきなりマラソン!みたいな感じで。しかもNYのミュージシャン達は超一流なので、そんな彼らと一緒に演奏できることは、私にとってものすごく幸せだし、こんな私でいいのかなって気にしますね。でも何よりも自由な鳥のように飛べて、音楽を楽しめればいいなと思っています。

C:新作『Naked Breath』は今までのマンディさんの音楽とはがらりと変わった雰囲気ですが、リリースまでに、レコード会社との取引や音楽業界への考え方など、色々と変化があったようですね。

M:レコード会社を辞めてから、今、自分自身がどういう音楽をやっていきたいかを考えました。これからの音楽家としての人生を考えると、私は卵からやっと小学生まで上がってきた感じ。これからもっと成長していかなければならない。そう考えたとき、今までやってきた音楽と今やりたい音楽の間のギャップに気づきました。今まで一緒にやってきたミュージシャンや今まで支えてきてくれたファンのみなさんは、今まで私がやってきたシックでトレンディなクラブ音楽を好きでいてくれたと思います。でも私としては同じスタイルを続けるのではなくて次のステップを踏んでいきたい、そのためにはどうしたらいいかなと考えていた時に、主人からArtist Shareの方を紹介されたんです。これ、実はとても難しいんですよ。全部自分で一からやらなきゃいけないから。今まではレコード会社やスタッフが全て助けて下さっていたのですが、これからは全て自分でやらなくてはいけない。これは本当に大変ですね。でも私の周りの友人らに助けられ、本当にありがたく思っています。(楽屋にいたメイクやスタイリストの方々に頭を下げて)お世話になっています。

C:『Artist Share』について教えていただけますか?

M:2000年から始まったインターネットの会社です。オーナーであるブライアン・キャメリオ氏もミュージシャンで、ジャズが主体となる音楽を作っているので、彼の周りにもジャズミュージシャンが多いのです。彼らの基本的な業務はアーティストのプロジェクト実現のサポートです。登録された各アーティストの様々な作品をファンがホームページ上で予約できるようになっています。完成された作品だけでなく、バイヤーがアーティストのいろんな面を見れるようにメーキング中の曲やアルバムも見ることが出来ます。ブライアン氏は、レコード会社が与えることのできていないアーティスト達自身の満足を実現するためにArtist Shareを創りました。レコード会社はもちろん「会社」なので利益を得なければいけないし、売れる音楽を出していかないと生き残っていけません。そしてアーティスト達は会社の指向に従った商業的な曲を作ることになる。アーティストだって生活がかかっているし、レントだって払わないといけないし (笑)。最初アートをやり始める人って、「自分」があって「自分のやりたいこと」がわかっているんですね。でも結局会社の圧力によって妥協せざるを得なくなり、「自分のやりたい事」が壊れていくというのは、とても悲しい事だと思います。彼はそれを見ていて、「これではだめだ!」と思い、このArtist Shareを作ったのです。この会社のコンセプトは「アーティストにクリエイティブな自由を取り戻してもらい、やりたいことを素直にやろう」、そしてこのシステムは「会社の儲け目的の部分はすべてカットして、アーティストが直接売った分だけ利益になる」という感じです。ジャズアーティストのCDの売り上げ枚数なんて、多くなくて実際何千枚何百枚っていう世界だから。私自身は自分をジャズアーティストだと思っていないのですが、この音楽作りに対しての自由さっていうところがとても嬉しかったのです。彼らと組んでからはいきなり私に凄いエネルギーが沸いてきて、創造力が生き生きしてきたんです!

C:今は「これぞ」というところでやっている感じですか?

M:まだはじまったばかりで、最初の作品しか作っていないからなんとも言えないのですが(笑)。この(新しいアルバム)『Naked Breath』は、私にとって初の全曲アコースティックな作品で、ずっと昔からやりたかったプロジェクトなのにどこのレコード会社もやらせていただけませんでした。それでArtist Shareに参加してからやっとこのように形にできたことがすごく嬉しくて!


最後に彼女はそう言って、幸せ満点の笑顔を見せてくれた。

昨年12月にリリースされたアメリカでのデビュー・アルバムとなる最新アルバム『Naked Breath』は今までのクラブ系とはまったく違った、落ち着いた生の音が楽しめるギター(アダム・ロジャース)とヴォーカルのみのデュエットアルバム。この作品では、本来の彼女の魅力が存分に引き出されるとともに、改めて彼女のその歌声の美しさに驚かされる。インタビュー後のライブでは、最新作『Naked Breath』はもちろん、2002年リリースの『Episodes in color』、2003年リリースの『Moods』からの曲を中心とした最高のパフォーマンスだった。美しい声と素晴らしいジャズ演奏がとてもマッチしていて、しっとり聴かせるナンバーからジャズバンドならではの生の迫力までを存分に味わえる、夜のお酒にちょうどよいマッタリとした居心地に酔いしれた。




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マンディ満ちる
1963年東京生まれ。ジャズピアニストの秋吉敏子、ジャズサックス奏者のチャーリー・マリアーノの間に生まれる。日本映画界で女優として活躍していたが、91年、アルバム『mangetsu』のリリースをきっかけにシンガーソングライターとしてのキャリアをスタート。ジャズを基盤としたアシッドジャズ、ソウル、ドラムンベース、ラテン、ブラジリアン、など様々なジャンルで多様な楽器を取り入れた無国籍な音楽を作り続けている。またシンガー/ライターとして、DJ Krush, Mondo Grosso, Kyoto Jazz Massive, Basement Jaxx, UA, Masters At Work, Joe Clausell, Lisa Ono などとの音楽製作をはじめ、birdへの楽曲の提供やヴォーカル・アレンジなどバラエティに富んだサウンドワークを務めたりと、幅広くミュージシャンとしての才能を発揮している。2000年に東京からNYへと活動の拠点を移し、現在は夫であるジャズトランペッターのアレックス・シピアギンと1人息子と共にロングアイランドに在住。

Monday Michiru

Artist Share

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Album ''Naked Breath'' Release Coordinator Contact : Keiko Ohashi
cyberneticsoul@nyc.rr.com

Photographer // Juan Chami
Styling & Jewelry // Natsuko Hayashi
Hair & Make-up // Takashi Matsuzaki

text by Mieko SAI, Sayako MAEDA
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