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『COOL』は、世界で活躍するアーティストやニューヨークで注目のアートシーンなどを紹介していくアートマガジンです。創造するということ、かっこいいものを見ること、そこから感じる何かを世界中で共感できたらおもしろい!文化が違うとこんな違ったかっこよさもあるんだ!そんな発見・感動をしてもらえるボーダレスなアートマガジンを目指しています。現在、全米各地やカナダ、フランス、日本、中国などで発売中。誌面ではなかなか伝えられないタイムリーな情報や、バックナンバーに掲載されたインタビューなどをこのブログで公開していきます。
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今月21日より、DIESEL DENIM GALLERY AOYAMAにて“PARANOMIA”遅鵬 × KENSUIの展覧会が開催される。



Sprinting Forward-2, C-print, 2004, 120cm x 152cm



コンセプトは「「妄想の全景」- 眺めのいい自虐。広々とした狂気」。




Don’t want to wake up from this beautiful dream, C-print, 2008, 112cm x 300cm or 300cm x 800cm


中国の若手アーティスト遅鵬(チー・ポン)が描き出す不思議で自虐的な世界を、クリエイティブディレクターの荒尾犬帥が演出する。


展覧会概要
タイトル: “PARANOMIA” 遅鵬X KENSUI
アーティスト: 遅鵬 × KENSUI
キュレーター: Kimiko Mitani Woo / MW Company
日時: 2009.2.21(SAT) 〜 2009.5.10 (SUN)
場所: DIESEL DENIM GALLERY AOYAMA 2F
住所: 東京都港区南青山6-3-3
Tel: 03-6418-5323
営業時間:1F STORE 11:00〜20:00
2F GALLERY 13:00〜20:00
定休日: 不定休
主催: DIESEL JAPAN
協賛:ローランド ディー.ジー.株式会社
   株式会社 バニラインク
Web: www.diesel.co.jp/denimgallery




遅鵬 Chi Peng チー・ポン  PROFILE
1981年、中国・山東省生まれ。中央美術学院デジタルメディア科卒業。
自らを被写体とし、デジタル加工や扮装を用いた写真作品群を多く発表する。
これまで、現在拠点としている北京をはじめ、各地で個展を開催。
第3回福岡アジア美術トリエンナーレ(2005年)、「Chinese Photography Today」(ニューヨーク、2005年)、「China Avant-garde」(ウィーン、2006年)など、グループ展にも多数参加している。2008年3月には 「横浜市・北京市 アーティスト・イン・レジデンス交流事業」で来日し、滞在制作を行った。
www.chipeng.com.cn/

荒尾犬帥 Kensui Arao  PROFILE
Saatchi & Saatchi Tokyo エクゼクティブ クリエイティブ ディレクター。
TBWA、EURO RSCG、パブリシスを経て、現在Saatchi & Saatchiに所属。
常に革新的なソリューションを提案し、Air France、adidas、Nike、Intel、GUINNESS、Renault、Toyota、Lancome、 Pedigree、Kal Kanなど幅広いクライアントのクリエイティブディレクションを手がけてきた。広告の枠にとらわれない斬新なアイデアを得意とし、2002年のadidas W杯キャンペーンで渋谷をジャックしたゲリラ屋外広告、またBEAMS 30周年イベント「TOKYO STYLE CLASH / HOT OR NOT」では、インタラクティブ形式のファッションコンテストを通じ、東京のストリートカルチャーと世界を見事にコネクトさせた。CLIO Bronze、PMAA Gold等を受賞。
www.kensuiarao.jp

Kimiko Mitani Woo / MW Company  PROFILE
インディペンデントアートキュレーター、アートプロデューサー。
Wieden + Kennedy Tokyoにてナイキの営業担当として勤務した後、2008年5月に独立。Akasaka Art Flower 08、Nam June Paik Art Center Opening出品作家のマネージメントなどに携わり、2009年2月にMW Companyを設立、東京と上海を拠点に本格的なアートプロデュース活動を開始。既存のアートシーンの枠組みを超えた新鋭アーティストの発掘及びユニークな幅広い分野での作品発表の場をプロデュースし、東アジアのアートシーンの発展に努める。
www.mw-company.com

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5秒間に60,000枚。30秒間に106,000個。5分間に2,000,000本。一日に426,000台…読者の方々はこれらの数字が何を示すものだかおわかりだろうか?消費大国アメリカでは、毎5秒ごとにおよそ60,000枚ものプラスティックバッグが消費されているのだ。さらに毎30秒ごとにおよそ106,000個のアルミ缶が、毎5分ごとに2,000,000本という途方もない数のペットボトルが捨てられ、毎日426,000台もの携帯電話がその役目を終えるという。これらは全てアメリカの社会において、いま現在も絶え間なく続いている信じ難い現実だ。そんな我々人類がもたらした現代社会に巣喰う深い闇を鋭く切り取る、写真家クリス・ジョーダン。弁護士から写真家に転身した異色のアーティストの「リアル・ワールド」をご覧いただこう。


Handguns, 2007 © Chris Jordan

COOL: 写真を始めたきっかけは?

Chris Jordan(以下CJ): 母は水彩画、父が写真というように、両親がアーティストという家庭で育ったので、私が写真を始めたのは必然の成り行きかも知れません。でも40才ぐらいまで写真は趣味のままにしておきました。私は長らく企業弁護士として、個人的にあまり有意義ではない時間を過ごしていました。そんな私にとって、写真は創造的な逃避手段でしたが、弁護士の職を捨てて、アーティストとして写真だけでやっていく決心はなかなかつきませんでした。しかし40才を目前にしたとき、今のままの生活を続けても、自分が老人になる頃には後悔ばかりが残るのではないかと思うようになりました。そして私はついに弁護士の職を辞してアーティストになったのです。改めて思うと、あれからまだ5年しか経っていないというのは驚きですが。


COOL: あなたにとってアートはどのような意味を持つのでしょうか?

CJ: アートには様々な機能があるけれども、私は「社会を映し出す鏡」としてのアートに特に興味を持っています。人々が自分たちについて気づいていないことを、アートを通じて見せるのです。アートは個人的にも集団的にも、行動の中で無意識に行なっているものを呼び起こす作用を持っています。それはアルコール依存症の人が他人に「あなたは自分では気づいていないかも知れないけれど、アルコール依存症のようですね」などと言うのに似ています。

このように、アートは強力な道具となり得るのです。しかしアーティストには内省や、複雑な問題を尊重すること、そして説教じみていたり偽善的ではなく、また一次元的ではないことが要求されます。私が自分自身を見つめたとき、自分が貪欲なアメリカのいち消費者であることを改めて認めざるを得ません(それはたくさんの素敵な私の所有物が証明しています)。ですから私は、本当はこういった問題について語れる立場にないのかも知れません。しかし同時に、声をあげることはできるのです。アルコール依存症の人は、アルコール依存症だから黙っていなくてはいけないということではないのですから。

COOL: あなたにとって写真の魅力とは?

CJ: 私が思うに、手段としてのカラー写真はユニークな立場にあると思います。様々なアートの形がありますが、カラー写真はその中でも最も具象的と言えるでしょう。他のアーティストたちも、この問題について詳しく検証しています。そして写真が、真に客観的ものには決してなり得ないということを示そうとしています。しかし私は、他のアートに比べ、カラー写真は最も写実的な表現手段であると思っています。だからこそ、まるで鏡のように現実の世界で起こっている様々な事象を鮮やかに映し出す力を持っているのです。

近ごろ私は、実際の尺度で大衆文化を描こうとしたのですが、消費やゴミの問題がアメリカ中に広がり深刻化している現実に、普通の写真では太刀打ちできないことを悟りました。国中の全部のゴミが1ヵ所に集まって、それを写真に撮れる場所なんてどこにも存在しません。だから我々は消費というものがもたらす結果を統計によってしか見ることができないのです。だから私はこの結果を視覚化するために、写真とコンピューターを駆使して現実では作れないイメージを創造しました。これが「Running the Numbers」というシリーズです。

この作品は伝統的な写真とは違うので、これを本当に写真と呼んでいいものか分かりかねますが、多くの人々は私をフォトグラファーとして捉えていることでしょう。「Running the Numbers」には、いくつか実際にはカメラを使っていない作品もあります。それらはインターネットからダウンロードした小さい写真を構成して作りました。
Cell Phones, 2007 © Chris Jordan

COOL: オーディエンスには、あなたの作品をどのように感じとって欲しいですか?

CJ: まずは、社会における巨大で驚くべき数々の問題に立ち向かう、視覚的証拠としての作品です。これらの問題の大きさは統計だけでは計りきれません。だから私はそれを視覚化することで、より人々がダイレクトに感じることができるように描こうとしているのです。

さらには、私の作品が、鑑賞者にとって世界における自分の立場を確認する手助けになればとも思っています。「Running the Numbers」は部品の集積が巨大なひとつの集合体を形成しています。鑑賞者は、作品から離れて見ることでその集合体をはっきりと確認することができ、また近づいて見れば、無数に集められたひとつひとつの部品が集合体を形成していることを確認することができます。集合体というのは、結局はたくさんの部品の集まりに過ぎないのです。わかりきったことのようにも聞こえますが、実はそのひとつひとつにこそ大切な真実があるのです。我々の社会はあまりにも巨大で複雑化していて、人々がこの真実を本当に感じることが難しくなっています。私の作品の目的は、鑑賞者に集団の中における個々の大切な居場所の存在を主張することです。これは人々の、文化における集団的な問題に貢献するかもしれない行動を見ることで、他者に影響を及ぼそうと試みる巧みな方法なのです。

COOL: なぜ環境問題に目を向けるようになったのですか?

CJ: 環境問題のほうが偶然に私を見つけたようなものです。初めて撮影したゴミの集積写真も、純粋に美しいという理由からでした。その写真を引き伸ばして仕事場の壁に貼りました。すると友人が、この写真を見るなり消費者運動について語りだしたのです。私は当時、写真を美しく撮ることにしか興味がなく、消費の問題については全く関心がなかったので、人に作品を間違って解釈されることに悩まされていました。しかし、しばらくすると、私には現代的な世界ともっと深く関わる作品が撮れるということに気づいたのです。それからというもの、消費や大衆文化の問題にどんどん興味が沸いてきました。以前は気にも止めなかった重要な問題の発見に、まるで目が覚めたような気がしました。今でこそ、そういった問題に関心を示す市民であることは事実ですが、これはまさに最近の出来事なのです。以前ならば、消費の問題や環境影響、ましてや選挙に投票することなど全く考えられませんでした。

COOL: 現在は主にどんな問題に取り組んでいますか?

CJ: 「Running the Numbers」を撮り続けながら旅行や演説をたくさんしています。最近では、スタジオを運営するスタッフを雇うことで制作の効率を上げようとしていて、少々参りぎみです。作品に対する周りの反応は想像以上に素晴らしいのですが、新しい経験というものは常に新しい問題を伴うということも分かりました。今では、小さい事業を興してそれを大きくしていった人々に尊敬の念を持っています。私が今ちょうどそれに腐心しているところだからです。

COOL: 今までの人生で最も興奮した瞬間は?

CJ: あれは2007年の始め頃だったと思います。私は自分のウェブサイトで「Running the Numbers」を初めて公開したのですが、わずか数週間のあいだに何十万もの人々が私の作品を見にサイトを訪れたのです。瞬く間に私の作品が、まるでウイルスのようにインターネット中で広がっていく様子に、私は強い興奮を覚えました。その反応は、おそらく人々が世の中でより賢明で道徳的な生きかたをするために、私の作品に何かを熱望しているからでしょう。例え集団における愚行に全員が気づいていたとしても、個々のおこないというものは急には変えられないということが、我々にとって困難を招いているのだと思います。


COOL: 過去の作品で一番印象的な作品は?

CJ: 私にとって「Prison Uniforms」という作品が最も衝撃的です。これは2005年当時に刑務所に収監されていたアメリカ人230万人と同数の囚人服の写真です。アメリカは世界中で最も囚人人口が多い国なのです(中国やインドのほうがアメリカより人口が多いにもかかわらず、囚人の人口においてはアメリカが群を抜いている)。このような国はアメリカをおいて他にはありません。

囚人服のひとつひとつをできるだけ小さくするように試みましたが、230万という数を全て収めるには、最終的に8m×3mという巨大なプリントが必要になってしまいました。この作品の前に立つと、アメリカにおける「自由」の滑稽なほど途方もない巨大さに衝撃を覚えます。

COOL: 将来のヴィジョンについて教えてください。

CJ: この手の質問は、いつか再び無名の頃に戻らなくてはならないような気を起こさせるので怖いですね。今年は「Running the Numbers 」を展示するための旅行と演説をたくさんするつもりでいるので、実をいうと先のことはあまり考えていないのです。このシリーズが終わればまた新しいことを始めなくてはなりません。もしかしたら次にやることのアイディアが無くなって、新しいものを作れなくなってしまうかと思うと恐ろしいのです。それはリスクですが、私は別の道よりも敢えてリスクを選びます。別の道とは、同じ場所に留まること、成功を繰り返すこと、そして新しいことに挑戦することに対する恐れなどです。私は弁護士として10年間もそういったことをやってきたので、安定というものがどういうものかわかっています。私にとってそれは高い代償ではありますが。

COOL: ファンの皆さんに何か一言

CJ: いつか日本での展示を実現させたいと心から願っています!


Interview & Photo by Taiyo Okamoto

水墨画を彷彿とさせる独特の美しい風景写真で人々を魅了し続ける写真家、マイケル・ケンナ。彼が毎年のように訪れているという北海道の地。この冬も、自身が「最も思い出深い場所」と語る屈斜路湖での撮影を行った。自然との対話の中から生まれた「最も美しい瞬間」をモノクロの世界に写し込んでゆく独自の世界観。豊かな感性と精神性に裏付けられたマイケル・ケンナの美学に迫る。



©Michael Kenna/RAM

Q1.あなたの経歴および写真との出会いについて教えて下さい。

私は、1953年にイギリスのランカシャー地方にあるウィドネスという町で、労働者階級のアイルランド系カトリック教徒の家庭に、6人兄弟の末っ子として生まれました。私の家庭には芸術的伝統などまるでありませんでした。大人になるにつれて、カトリックの教会にとても感銘を受けるようになり、11歳になる前に、聖職者になるための訓練を受けるべく神学校に進学しました。その学校には17歳まで在学していました。それから私は、芸術に対しても大変強い関心を持っていたので、オックスフォードシャーにある「バンバリー・スクール・オブ・アート」に行くことにしたのです。さらに「ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティング」では3年間写真を学びました。その後は広告写真家のアシスタントとして、補助業務やモノクロでのプリントなどを担当しました。そして仕事の傍ら、趣味としての風景写真を撮り続けたのです。70年代の半ばにアメリカに渡った際には、ファインアートで生計を立てていく可能性を真剣に考えていました。ニューヨークにはたくさんの写真専門ギャラリーがあったし、そこでは、写真がアートのひとつの形として高い評価を受けているように見受けられたからです。それからサンフランシスコに活動の拠点を移し、しばらくの間その地に住みました。2004年からはオレゴン州のポートランド北部に移り住んでいます。

Q2. 初めてカメラを持ったのはいつ、どんなきっかけでしたか?

子供の頃から心の中で写真を撮影していたように思います。確実に影響を与えられたのは、70年代の初期にバンバリー・スクール・オブ・アートで学んでいた頃のことでしょう。写真はコースの授業の一環で、自分をさらけ出すことのできる、いくつもの芸術媒体のうちのひとつでした。私は周囲にあるもののイメージを作りました。それはとてもエキサイティングなことでした。

Q3. 影響を受けた写真家もしくはアーティストは誰ですか?

最初は、ファッション、広告、スポーツ、静物、フォトジャーナリズムなどの商業的な側面を学びました。ですから私は風景写真の深い歴史などは知らなかったのです。のちに、ビル・ブラントやジョセフ・スデック、ユージェーヌ・アジェ、そしてアルフレッド・スティーグリッツといった大家の作品を見ました。彼らの作品は、深遠で、印象的で、そして影響力がありました。他のコースでは美術史も学んでいたのですが、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ジョン・コンスタブル、そしてジョゼフ・ターナーには特に惹かれました。しかし、はっきりと誰から影響を受けたかというのは私にも分かりません。何千という画家、彫刻家、写真家、作家、ライター、音楽家、詩人、そういった人たちが自分に大きな影響を与えているのだと思います。もしも、その人たちの名前を全てリストアップしたとしたら、それはとんでもなく長いものになるでしょうね(笑)

Q4. あなたにとって写真の魅力とは?

たった一人で、夜、星明りの空の下にいるところを想像してみて下さい。静寂に耳を傾け、世界がゆっくり動いているところを眺めながら。考えること、想像すること、夢を見ること、そこにはすべての感覚が存在しています。カメラは目で見ることのできないものー累積する時間ーを見て、記録し、創造していきます。あるいは雪が降り積もる一本の見事な木として大地に立っているような感覚を想像して下さい。そこは一面真っ白で、雪が降り積もる音だけが聞こえます。私は写真を作る過程のほとんどすべての側面を(フィルムを現像する工程を除いて)愛しています。旅すること、探求すること、イメージを作ること、出来上がったばかりのコンタクトシートを見ること、プリントすること、展示すること、本を作ること、その他全てにおいてです。人生を通じてこの道を探し出すことができたのは幸運だったと思っています。それは私にとって、他に自分の時間を費やすのに良い道があったとは考えらないほどです。

Q5. どんな時に「写真を撮りたい」という衝動に駆られますか?

コンディションや場所、主題、精神的な繋がり、そういったものがひとつになる瞬間があります。それは非凡で特別な瞬間です。そういった場面に居合わせることができることは特権であり、景色と主観的な解釈を統合できる可能性を持つということです。少なくとも私にとっては筆舌に尽くしがたい経験なのです。

Q6. 今回の日本での撮影旅行で特に印象に残った場所や出来事は?

やっぱり北海道はいつ行っても素晴らしいですね。寒くて、広大で、孤独で、それでいて白く生き生きとしていて。私が写真に撮りたい雪や風や霧といった要素は、いつ行っても私に親切にしてくれるような気がします。撮影の合間には、太陽が顔を覗かせてしまうこともままありますが。しかしなんと言っても一番の思い出は、2002年、2004年そして2005年にも撮影した屈斜路(くっしゃろ)湖を再び訪れたことですね。その日はまだ暗いうちに到着しましたが、星が出ていて、驚くほど晴れた朝でした。私は雪を乱さないようにしながら木の周りを歩いていました。すると雲が出てきました。さらにグレーの霧が降りてきました。そしてしばしの静寂があり、すぐ近くで白鳥が素晴らしい夜明けのコーラスを奏でながら目を覚ましました。私は数時間のあいだ、ゆっくりと、近づきつつ、対話をしながら写真を撮りました。最後に私は木肌に触れ、「幸せなバレンタインデーを」と、彼女のために願いをかけました。そう、この日は2月14日の朝だったのです。

Kussharo Lake Tree, Kotan, Hokkaido, Japan, 2002 ©Michael Kenna/RAM


Q7.日本の風景のどこに魅せられるのですか?

日本の風景には私の故国イギリスに似た特徴があり、故郷を思い出させてくれます。日本は海に囲まれた島国です。何世紀もの間、そこで人が暮らし、働いてきたひとつの場所です。日本は地理的規模としては小さく、空間は密集しています。人々は潔癖で、規律があって、好意的で、よくゲストを歓迎してくれます。私は日本の土壌には力強い大気が存在しているように感じ、それと一体化するのです。私は記憶とストーリーを撮影することが好きなのですが、この美しい国を歩き回っていると、奇妙なことにまるで自分の故郷にいるような気持ちになるのです。だからこれからも(日本には)何度でも喜んで戻ってくることでしょう。

Q8. 7 1/2インチ(約19cm)四方というプリントサイズを選ぶのはなぜですか?

人が私の仕事を見たときにとても親しみ易く、かつ私の好みも反映されているサイズだからです。人間の目が焦点を合わせる際の視界はおよそ35度なので、見る人が作品から10インチ(およそ25.4cm)離れたところで最も良く見えるように意図されています。それはかなり近い距離ですが、私はそういう関わり合いかたが好きなんです。もっと大きいサイズのプリントは、より距離を必要としますからね。もう長い間ずっと同じサイズでプリントしてきましたが、30年も前の写真と、今日私が撮った写真とが幸せに共存できるというのがいいですね。ひとつの大きな、まるで幸せな家族のような…

Q9.今までに訪れたことのない場所で、次に訪れたい場所はどこですか?

撮影する場所はどの場所も友達のようなものです。友情を深めるために何度でも訪れたいですね。しかしいつも新しい友達は必要ありません。彼らは私の時間を取り上げてしまうでしょうから。大抵は写真を撮ったばかりの場所でしばらく時間を過ごすのが好きです。特に、中国、インド、日本、韓国ですね。旅の風が私を連れて行ってくれる場所で皆さんとお会いできるでしょう。いつ、どこへ行っても幸せですね。私は本当に旅行が好きなんです。


Q10. 写真家としてどんな瞬間に喜びを感じますか?

一瞬、喜び(Pleasure)ではなくて、プレッシャー(Pressure)と聞かれたのかと思いました(笑)そうですね、充実した人生のすべての局面において帳尻を合わせ、優先順位をつけるのは、時としてとても難しいことです。すべてのことを理想通りにするためには、一日に充分な時間、一年に充分な日、もしくは人生における充分な年数などありません。だから時には多少のプレッシャーもあります。そしてまたたくさんの喜びもあります。私は自分のやっていることを愛しているし、そしてそれは私に大きな満足感を与えてくれます。写真家であることはつまり、経験のために狩りをしているようなものです。私は自分の経験を感じ、それを写真に収めます。私は他の人たちがその経験を見ることができるようにするための仲介役として行動しているのです。もちろん私は、それらに自分の主観的な解釈に基づいて触れていますが、それでも私は案内役であり、ガイドなのです。少なくとも私の心と目は、世界の素晴らしさや不思議、感動的な美といった側面に目を向けているのです。果たしてそれ以上に大きな喜びが存在するでしょうか?

Q11. 愛用しているカメラは?

現在は使い古された年季物のハッセルブラッドを愛用しています。完全なマニュアルで、充電地も、デジタル画面も、かわいいベルや警告音も全くないタイプですよ(笑)でも極限の環境下でも動作可能で、かなりの信頼を寄せています。ハッセルブラッドは多機能だが重すぎない、これは私にとってとても重要な考慮すべき事です。フレーム全体をプリントでき、必要に応じてトリミングすることもできる、適正なサイズのネガフィルムを手にすることができます。もう20年近くこれらのカメラと一緒に仕事をしてきたので、もう手に取るように分かりますしね。デジタルの革命がこれ以上伝統的なフィルムや印刷用紙を生産する必要がないと命じるまでは、私はこの友好的な主力選手達と一緒にいるつもりです。

Pine Trees, Wolcheon, Gangwando, South Korea, 2007 ©Michael Kenna/RAM


Q12.ファンの皆さんにメッセージをお願いします。

もし私が知っていることがひとつあるとすれば、それは「私は何も知らない」ということです。最近私は、私に「答え」を求めるメールをたくさん頂くのです。それは「どうやって写真を撮ればいいのでしょうか?」とか「どうやって生きていけばいいでしょうか?」、「どうすればアートの世界で成功できるのでしょうか?」、「展示会を開くにはどうすればいいのでしょうか?」、「どうすれば本を出版できますか?」などなど…もちろん、それらに対する答えがあればいいのだけど、私は無いと思います。まあ、少なくても私はそう思うし、またそういった質問全てに返信しようとしたらフラストレーションが溜まってしまいますしね。おそらく良い人生を生きるだとか、成功するということの秘訣なんてないのではないでしょうか。一生懸命働くこと。今あるこの瞬間に生きること。責任感を持つこと。次のチャンスなんて来ないかも知れないんだから、人生を楽しまないとね!そして自分が大切にして欲しいと思う分だけ、他人のことを大切にしてあげることです。


Interview by Kyoko Kobayashi, Photo©Michael Kenna/RAM


オフィシャルサイト
www.michaelkenna.com

NY在住アーティスト杉本剛(すぎもと・ごう)の個展「Daydream In My Garden」が、チェルシーのギャラリーM.Y. ART PROSPECTSで9月6日より10月13日まで開催されている。

  


杉本剛は、高校卒業後ニューヨークに渡り、アーティストのアシスタントなどを経て、International Center of Photography (ICP) で写真を学んだ。同展では、2003年から2006年までに制作された「Walk in the Night」と「Paper-Work」の2つのシリーズを中心に、最新作の「Daydream In My Garden」シリーズを紹介する。「複雑に絡まる感情やリアリティに囲まれながら心を空にして想像の世界で自分を解放出来る一瞬が、自分の探求する単純さや純粋性の美に通じるはず」と言う、モノクロームの世界における深い色調にこだわり抜いた作者が、研ぎ澄まされた感覚とプリントテクニックで表現した、繊細で美しい世界を堪能することが出来る。

Gallery Info
547 WEST 27th STREET, 2nd FLOOR 
NEW YORK, NY 10001-5511 

GALLERY HOURS: TUE. - SAT. 11AM - 6PM

Tel: 1.212.268.7132
http://www.myartprospects.com/

スマトラ沖の大津波やハリケーン「カトリーナ」、世界で相次ぐ大地震など近年頻発している自然災害は、私たちに自然が内包する絶対的な力と人間の無力さを再確認させた。同時に、圧倒的な自然の脅威は、これまで自然を支配下に置き、向こう見ずな搾取や破壊を続けてきた人間の営みを、今一度見直すべきではないかという警告を私たちに投げかけた。

ニューヨーク国際写真センター「International Center of Photography(ICP)」で行われている写真展『ecotopia』は、そうした「危機的状況にある自然と人間の関係」に焦点を当て、およそ14カ国、40名のアーティストたちが世界の環境変化を独自の視点で捉え、写真や映像を駆使してそのメッセージを発信しようという試みだ。

今回参加したアーティストの一人であるメアリー・マティングリー(Mary Mattingly)は、最新のデジタル技術を駆使して、近未来の人間の生活を写真の中に表現している。彼女の代表作『The New Mobility House』では、奇妙な衣装を身にまとった人間が、ひとり荒野に立ちすくんでいる。体をすっぽりと覆う奇怪な衣服は「Mobility House(移動式住居)」と呼ばれ、それ一つで栄養補給や体温調節ができるという未来の「家」である。ありとあらゆる技術を手に入れた未来の人間は、何かに依存するという必要性を無くし、遊牧民のような生活を送ることになる、と彼女はイメージする。見渡す限り何も無い荒野に、ぽつんと立つ異様に近代的な人間。その奇妙なコントラストは、自然から遠く離れて行きつつある私たち人間の心細さをかき立てると同時に、全く新しい方法で自然の中に還って行く、という人間の無限の可能性を感じさせる。

あるアーティストは、完璧に美しい自然の風景を切り取り、ただその絶対的な美しさによって、環境破壊とは何かを訴えようと試みる。また、あるアーティストは、とある牧場の日常生活をポートレイトにすることで、自然と人間の関係を問いかける。日々繰り返される家畜の屠殺と新しい生命の誕生、それを淡々とこなしていく人々の姿は、私たち人間がどのようにして生かされているのかという普遍的な疑問を突きつける。

写真展のテーマでもある『ecotopia』とは、「Ecological Utopia」に由来する造語で、「持続可能な、豊かで美しい世界」という意味の言葉である。しかし、そこにある写真のほとんどは、現実の豊かで美しい世界を映し出したものではない。それらは、脆さを内包した自然の姿であり、矛盾を孕んだ人間の営みだ。しかし、どの写真も決して押し付けがましく「環境を守りましょう」などと訴えることをしない。その代わりに、ただその写真の前に立ち止まり、その風景の持つ意味について思考することを要求する。それはまるで、私たちに「地球の悲鳴が聞こえているだろうか?」と問い掛けているようだ。そして「自然は人間によって守られるものではなく、人間が自然に内包され生かされているのだ」という事実をそっと教えてくれる。それらが描き出すものは、ただ夢に描くだけの安易な理想郷ではなく、私たちひとりひとりが自然や環境と対話し、思考することで生まれる、自由と希望に満ちた未来の世界なのだ。全ての写真を見終わった後、私たちは『ecotopia』の本当の意味を理解できるに違いない。



text by Yuriko KOBAYASHI

Photo: Mary Mattingly
The New Mobility of Home (The Nobility of Mobility), 2004
Chromogenic print
© Mary Mattingly
Courtesy Robert Mann Gallery
言語
English / 日本語
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