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『COOL』は、世界で活躍するアーティストやニューヨークで注目のアートシーンなどを紹介していくアートマガジンです。創造するということ、かっこいいものを見ること、そこから感じる何かを世界中で共感できたらおもしろい!文化が違うとこんな違ったかっこよさもあるんだ!そんな発見・感動をしてもらえるボーダレスなアートマガジンを目指しています。現在、全米各地やカナダ、フランス、日本、中国などで発売中。誌面ではなかなか伝えられないタイムリーな情報や、バックナンバーに掲載されたインタビューなどをこのブログで公開していきます。
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マンハッタン・チェルシー地区の一角にあるギャラリー「Chapel of Sacred Mirrors (CoSM)」で、ヴィジョナリー・アートの巨匠アレックス・グレイが、彼の作品に秘められているヴィジョンや哲学を解説してくれるギャラリー・トークを行なった。

「ヴィジョナリー・アート(又はサイケデリック・アートとも呼ばれる)」とは, 肉体的な視界にとどまらない, 次元間を超越した世界を表現したアートのことである。代表的なアーティストに15世紀中期にオランダの大画家で悪魔的な怪奇性や幻想性に富んだ絵で有名なヒエロニムス・ボス、18世紀に活躍したイギリスの画家で詩人のウィリアム・ブレイクなどが先駆者として挙げられる。近年ではニュー・エイジ・ムーブメントの流行に伴い、絵画からポストカード、Tシャツまで、多種多様なメディアの中にヴィジョナリー・アートの片鱗をみることができる。

「バーニング・マン」と呼ばれ、毎年8月最終週の月曜日から7日間にわたって、ネバダ砂漠の広大な土地で行われる大規模なイベントがある。これはヴィジョナリー・アートとレイヴ・シーンが融合しあったもので、ヴィジョナリー・アート崇拝者達にとっては最大のイベントである。1986年、サンフランシスコに住む男性が恋人との諍いの憂さを晴らすために、等身大の人形を燃やしたことが由来で、この“人形に火をつけて燃やす”行為がアーティスト達の興味を集めたのだ。その後、この儀式は更に人気を集め、ニューエイジ・カルチャーに傾倒する若者やアーティスト達による恒例の夏のイベントへと発展した。現在では世界中から約4万人を集めるほどの規模になり、70年代に現れたヒッピー・ムーブメントの復活を彷彿させる。

アレックス・グレイはこの「バーニング・マン」に集まる人々にとっては、絶大な支持と人気を誇るカリスマ的存在のアーティストである。彼の作品は、人間と宇宙・精神世界のつながりを、緻密で複雑な構成のもとに卓越・熟練した技法を用いながら表現している。彼のアーティストとしての活動は絵画だけにとどまらず、彫刻・オブジェ、インスタレーションやパフォーマンスなど多岐にわたる。

所狭しとギャラリーの入り口に集まる参加者たち。200人ほどの参加者のうち半数近くが西海岸や全米各地から集まった。参加者の中には、ブラジルやドイツ、オーストラリア、日本など、海外からの参加者もいた。そこにアレックス・グレイが登場した。その風貌は華奢で繊細であり、一体どこにあれだけのパワフルな絵を描くエネルギーを秘めているのかと不思議になる。

グレイの誘導によってギャラリーの奥へと進むと、普段は悠然と構えるギャラリー内は瞬く間に大勢の人に埋め尽くされて、溢れるばかりの熱気に満たされてしまった。グレイの作品の特徴として,カラフルな精密画の中に数多くのシンボリズムが秘めていることが挙げられる。それは時としてチベット密教の「曼荼羅」を彷彿させる。今回のツアーは、彼の作品に秘められた謎やシンボルの意味をグレイ本人から語ってもらう絶好の機会なのだ。

グレイはグラフィック・デザイナーであった父親の影響を受け、早い時期から絵心に目覚めていた。しかしそれと同等に芽生えた「生」と「死」に対する深い興味を抑えることはできず、少年期に描いた絵には、裏庭で集めた昆虫や小動物の死体なども描かれている。自他共に認めるほど秀でた絵の才能の持ち主ではあったが、70年代のアメリカで起こったヒッピー・ムーブメント, ポップ・カルチャーやミニマリズムの台頭といった歴史的背景と多感な青春時代が一致して、コンセプチャル・アートやパフォーマンス・アートにのめり込んでいった。その後、人生を大きく変える、ある出来事に遭遇したことによって、彼の現在のスタイルが形成されたのだという。それは、ボストン・アート・スクール最後の日のパーティーで、後に彼の最愛の妻となるアリソンと出逢ったことと、その時に初めてLSD(麻薬の一種)を体験したことで、彼の世界観と人生観は大きく変貌することになったのである。

「初めてトリップをした時に、光と闇の渦巻きのヴィジョンを見たんだ。」と、そのヴィジョンを基に作成されたオブジェクトを指差すグレイ。その作品は光と闇を象徴する白と黒が渦を巻き、中央にある灰色の部分がその両極をつなぎ止めている。彼にとってこの“灰色(グレイ)”はこの世界に存在する二極性、つまり光と闇、物質的な世界と霊的な世界、「男性性」と「女性性」、「生」と「死」、「自己」と「周囲」、「地球」と「宇宙」など、全てを媒介する橋渡し的な意味を持ち、彼の描く世界に存在する人間そのものが、この「グレイ」の役割を担っているともいえる。このヴィジュアル・トリップがきっかけで、本名のアレックス・ヴェルジーから改名して、“アレックス・グレイ”を名乗るようになり、さらにはLSDを常用するようになった。

作品製作のためにドラッグを使用することを公言するグレイは、それを彼の言うところの“ヴィジョナリー・ステイト(非現実的な状態)”に達するための手段のひとつであり、ヴィジョナリー・アートとは、我々のイマジネーションの領域すべてを意味し、現実の多次元性を覗くための“レンズ”のようなものなのだと語る。彼は「宇宙や精神世界と現実の世界の間の伝道者としての自分の使命を遂行するため」に、自分の意思でドラッグを用いているという。彼は、グレイに触発されてドラッグに走ろうとする人々に警告する。この行為が違法であることや、グレイの友人がLSDの濫用で逮捕され、20余年の刑に今も服していることなども例に挙げて、LSD使用について質問した若者に対してグレイは厳しく問い返した。「君があたえられた使命は何なのだ?」と。

鮮やかなカラーが強烈な印象を与えるグレイの絵画には、通常我々が視覚で捕らえようない観念や感覚が存在し、超現実的なものやシンボリズムを含む多次元的な世界が描かれている。それも、彼がLSDなどのサイケデリックスで得た体験に基づくヴィジュアルな現実なのである。そして彼の作品の多くには、普遍的な真実を探求する想いとメッセージがひとつひとつ細かに描かれている。それはチベット仏教、キリスト教、カバラ(ユダヤの密教的哲学)、スフィなど、彼自身が真実を求めるために学んできた様々な宗教と哲学、その象徴やヴィジョンなのである。

その多次元的な彼の作品には、常に「人間」と「人間の体」が中心的な役割を果たしている。ハーバード大学の解剖博物館に5年ほど勤務している間に独学で解剖学・超心理学・チベット密教を学んだ後、メディカル・イラストレーターとして解剖図を描く仕事をしていた経歴を持つ。グレイの描く人体は透視図のように骨、筋肉、神経はもとより、東洋医学で使用される経絡やツボまでが正確に描かれている。

「我々の身体は“テンプル(聖堂)”なんだ。私達は奇跡のようにすばらしい聖堂に生きているんだ。」と、目を輝かせながら話すグレイ。 彼はシャマーニズムの“トランスフィグレーション(変容)”という手法を使って、 宇宙、自己の中にある世界、異なる現実などの多様な次元の橋渡し的な役割としての人間を描く。 彼が描く世界観の中で人間はとても重要な意味を持っているのだ。

「アートは私達の中にある自己を反映するものなんだ。コンテンポラリー・アートはこのままでは意味がなく、的外れなものになってしまう恐れがある。」と危惧するグレイは、自身の絵を通じて彼が見出した普遍的な真実を人々の意識に植え付けていきたいと語る。今後は、ニューヨーク郊外に彼のアートや思想活動の本拠地をつくる計画や、2007年の秋には新しい展覧会も予定されている。

作品の印象や経歴から、エキセントリックな人物を想像しがちであるが、グレイ本人はとても情熱に満ちてはいるが決して攻撃的ではなく、知的で思慮深い人物である。2時間を越える熱いギャラリー・トークが終わった後も、グレイと直に接しようとする人々のリクエストに丁寧に受け答えていたのが非常に印象的であった。

Text by Reimi Takeuchi & Sai Morikawa, Photo by Ryu Kodama

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火薬を使ったダイナミックなインスタレーションなどで知られている、中国出身のアーティスト蔡國強(Cai Guo-Qiang)。今やアジアを代表するアーティストのひとりとして、ニューヨークを拠点に活動し、日々世界中を飛び回っている。彼がニューヨークという場所を活動の拠点として選んだ理由や、アーティストとしての活動を通じて感じた、ニューヨークと日本のアートシーンの現状とその違いについて話を聞いた。


----- ニューヨークでの活動について

COOL:なぜニューヨークを仕事の拠点として選んだのですか?

蔡國強:まず1986年に中国から日本へ渡りました。日本には8年半ほど住みました。中国で生まれて、その後も日本で活躍していたことでずっとアジアばかりでした。90年代初めヨーロッパでの仕事をはじめた頃も、ヨーロッパに行くのはいつも展覧会の時ばかりで、ヨーロッパの人々と出会うことができなかった。それにアメリカではあまり仕事の機会がありませんでした。でもせっかく現代美術をやっているのだから、チャンスがあれば活動の場を広げ、アメリカやヨーロッパに住んで仕事がしたかった。それに20世紀はアメリカの正義といわれていたので、そのような国で実際に住んで、いろいろ考えながら仕事をしてみようとも思っていました。そして1991年、アメリカ側から日本の国際交流基金のひとつ、ACC(日米芸術家交換プログラム)への参加要請があったのですが、その時は日本人ではないということで結局却下されてしまった。しかし、1994年頃から日本の現代アート作家として国際展に作品を出展するようになり、そうしているうちに外務省や大使館などの招待で海外に行くと日本の作家の一人として認められはじめるようになりました。そして1995年にアメリカから再度ACCの申し出があり、ついにアメリカに来ることができたのです。

C:あなたにとってニューヨークはどんな場所ですか?

蔡國強:ニューヨークに住むと世界の広場にいるみたいです。いろいろな国の人々がニューヨークという広場にきて交流するという感じです。ニューヨークにいると自分から出向かなくても周りが自然と集まってきます。だから仕事をする上でもとても便利になりました。

C:アメリカでは、アジアのアートはどのように評価されていると思いますか?

蔡國強:アメリカ人はヨーロッパ人のように異国趣味的にアジアの芸術を見ているとは思いません。アメリカという国が多国文化なので、外国の文化だから興味を持つということがないんです。アジア系・ラテン系・アフリカ系といろいろありますよね。アメリカは、アジアのテーマの展覧会をしても、アジアだから評価されるということにはならないんです。逆にアメリカで評価されて活躍するということは、作家の作品・活動そのものが評価されているということなんです。時々、ベルリンやパリにいるアジア出身の作家の状況を見ると、人々に愛されてはいるけれども、作家や作品に対する評価はどうなのかと疑問に思うことがあります。その点アメリカは作品に対しての評価が正直で良かったと思います。最近、村上さん(村上隆氏)がアメリカで評価されたことも、アメリカ人が日本を好きだからということではなく、彼のやっていることや作品が、アメリカ人にとって面白かったし、楽しかったからなんですね。

C:アメリカと日本では活動するにあたってどのような違いがありますか?

蔡國強:まず日本へ行ってよかったと思うのは、日本が近代化、民主化した国だったことです。さらに人々がとても親切でした。アマチュア、若い芸術家の活動として、日本は大変良い国でした。その理由のひとつとして日本の一般のギャラリーは貸し画廊というシステムがあり、作品を発表する場があるということです。福島県いわき市へ行った時は、市民の方とコラボレートとして「地平線一環太平洋」という作品を作り上げました。いわきの町の人達に愛され、町全体がひとつになったという感じでした。当時の日本の美術界は、現代化・国際化したけれども、その反面西洋化したんじゃないかという批判もありました。ちょうどその頃の日本にいたので、そういった美術界の流れ、社会の雰囲気、いろいろな批評・考えの中にいることでとても勉強になったんです。市民とコラボレートするというコンセプトで活動するならば、日本はとても活動しやすい場所です。若い人によく言うのですが、若いときにニューヨークでがんばるのは大変ですよと。むしろ日本で好きなことをやって、自分のスタイルややりたいことを見つけてからアメリカで挑戦すればよいと思います。アメリカはアートに関するシステム(美術館、ギャラリー、コレクター、オークションハウス、マスコミ)が十分に発達しているので、ある程度力がついてきてからアメリカに来ると活動しやすいと思います。

C:実際にアメリカで活動されてどのように感じていらっしゃいますか?

蔡國強:アメリカは厳しくて、激しい。しかしそれが良いところです。例えば日本で仕事をしていたとき、作品に対する文評を読むと概ね良い評価のものばかりです。でもアメリカでは、良い評価のときもありますが、反対に大批判されることだってあるのです。

C:やりにくい面はありますか?

蔡國強:たくさんありますよ。日本にいたころは、市民とコラボレートして作品を作るということができました。私自身も日本語が話せることで、作品のコンセプトを自分の言葉で伝えることができました。また、アジアの哲学は中国から発生しているので、同じアジアの民族として自分の意図するところが伝えやすかった。アメリカでは、英語で自分のコンセプト・哲学を伝えるのは難しく、またアメリカではすべてがビジネスなので、市民とコラボレートするということ自体、多くの問題を孕んでいます。例えば、ボランティアを雇った場合、何かあった場合の責任の所在などすべてが契約で成立している社会なので、アメリカでは一般市民とのコラボレーションはなかなか実現しないのです。


----- 自身の作品について

C:最近の仕事について教えてください。

蔡國強:今年のはじめには、アメリカ・ニューメキシコ州のサンタフェにて「INOPPORTUNE」展がありました。3月にはイタリア・トスカニーで「Official Ceremony for The Permanent Installation of UMoCA」、5月は中国で「Long March: Chinese Contemporary Art Education Panel」、4月25日から10月29日までは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で「Cai Guo-Qiang on the Roof:Transparent Monument」があります。そして6月には、今までで最大のマンマンショーがカナダのナショナル・ギャラリーで行われる予定です。

C:忙しそうですね!

蔡國強:展覧会ごとに新しい作品を製作するので大変でしたね。ロングアイランドの花火工場でドローイングを作り、中国の工場で火薬を調合しアメリカに送ってもらっています。

C:どういったところから作品のテーマを見つけるのですか?

蔡國強:9・11(ニューヨークの同時多発テロ)の後はテーマも作品の作り方も多岐に渡ってきました。火薬で虹をイーストリバー上に作ったり、街の彩りを表現したり、テロに対する現代社会の不安感をテーマにした昼の太陽の下で黒い虹を作ったりもしました。また車を使った作品は、自爆テロなどの作品を製作するきっかけにもなりました。

C:作品に風水を使ったものが見受けられますが、もしやこのスタジオの配置などにも風水が活かされているのでしょうか?

蔡國強:もちろんです。スタジオを選ぶときも風水が最優先です。実際、スタジオを購入した後でも仏様をどこに置くかとかね。ドアとドアの間にライオン石を入れたりもしましたよ。女性のスタッフが多く、いつも仕事ばかりで忙しいので恋人ができないと苦情が出た時は、何か良いご縁が来るようなものを考えて置いたりしました。スタジオには、日本的な庭も作りました。大体、展覧会をするにしても、その町の文化とか、人々の歴史とか、その空間のエネルギーとかいったものは全て風水なのです。地と気、気は見えないエネルギーですから、それらを大切しながら作品の構想をねったり作ったりしています。必ず毎回作品に対して「これが風水です」と直接的には言いませんが、美学とか視覚的に見えない方法で(風水を)意識しながら作品を作っています。

C:火薬を使った作品を制作する上で、花火の玉の中にマイクロチップを入れ爆発高度をコントロールする技術を開発されましたが、マイクロチップを導入する前と後ではどのように作品が変わりましたか?

蔡國強:まず以前は火薬そのものが危ないと言われていましたね。2001年頃から花火にマイクロチップを内蔵する開発をはじめましたが、それまでの花火はすべて導火線で爆発させ、導火線の長さで爆発のタイミングを計っていました。さらに導火線は手作りのものなので花火の形、爆発させる順番を確定させる作業は大変難しいものでした。マイクロチップ入りの花火の場合は爆発の高度・タイミングすでに計算されています。例えて言うなら2000人のチケットを持った観客がそれぞれのチケットの書かれている座席に間違いなく座るようなかんじです。2000発の花火も自分の決められた高度・タイミングで爆発するのです。しかしながら、マイクロチップを導入して良かった点と悪い点があります。良かった点は、空そのものキャンパスのように使えるようになったことです。悪い点は高価なことです。高額なお金を使って何十秒間のアートということになるといろいろな面からプレッシャーがかかります。高価だから主催者側もマスコミを使ってたくさんの人を集めます。何十秒間のアートを見るために何万人の人が集まるとさらにプレッシャーが増します。そういったプレッシャーというのはもともとアートには関係のないものですけどね。今は資金と観客は集まりますが、空にあったものがアートであったかどうか、これで果たして作品になったのかという危うさがまだ残っています。

C:仕事をしていて楽しいときは?

蔡國強:いつもワクワクしています。作品をつくることはセックスと同じことだといつも冗談を言っています(笑)自分の作品は、失敗したからもう一度やり直すということはできません。一回、一回が本番で、やってみなければ上手くいくか、いかないかは分かりません。しかし終わったあとは楽しいだけです。上手くいっても、いかなくても。作品ができたときの楽しさや幸せはいつもありますね。

C:あなたにとって芸術とはなんですか?

蔡國強:自分のやっていること。芸術の目をもって世の中を見ると、政治家の選挙や街の工事現場でもすべてが芸術に見えてきます。

C:もし芸術家になっていなかったらどんな仕事をしていると思いますか?

蔡國強:想像できないですね。芸術家の他は考えられないです。作品を作ることに関しては自分でも時々上手いなぁと思いますが、それ以外はあまり上手ではありませんから(笑)



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蔡國強(Cai Guo-Qiang)
1957年、中国福健省泉州市生まれ。
1986~95年まで日本にて活動。
現在、ニューヨーク在住。
風水などの東洋の思想に裏付けられた独自の理念と、火薬を使ったダイナミックなプロジェクトやインスタレーションで知られる。「ヴェネツィア・ビエンナーレ国際賞」をはじめとする数々の国際的な賞を受賞。これまでも世界各国で数々の個展やグループ展を開催し、国際的に高い評価を得ている。



text by Nobuko MARUTA
90年代よりニューヨークを拠点に活動を続けるアーティスト森万里子。昨年行われた「第51回ベネチア・ビエンナーレ」に出品された「Wave UFO」に引き続き、今年日本で公開された最新作のインスタレーション「Tom Na H-iu(トムナフーリ)」が話題を呼んだのはまだ記憶に新しい。現代アーティストとして成熟の時期を迎え、海外からも高い評価を受ける森万里子。今回はマンハッタンにあるまだ引っ越して間もない彼女のアトリエを訪ね、ニューヨークでのアーティストとしての活動と、彼女がずっと見つめ続けてきたニューヨークのアートシーンについて語ってもらった。

COOL:なぜ活動の拠点にニューヨークを選んだのですか?

Mariko Mori:はじめはロンドンに留学していました。それから、ニューヨークに「ホイットニー・インディペンデント・スタディー・プログラム」というのがあり、1年の予定でこちらに来たのがきっかけです。その後もニューヨークで活動を続けようと思った理由としては、とても自由であるということ。多様な国や文化の人達が住み、わたしたちにも平等にチャンスがあるというところですね。

C:こちらにいらした当時のニューヨークはどんな環境でしたか?

MM:もっと怖かったですね。とても危ない感じがしました。しかし今よりももっと自由でしたね。マンハッタンにはたくさんのアーティストが住んでいて、一緒にhang outすることもできたし、アーティスト達が集まるミーティングポイントがありました。画廊も今とは違って、チェルシーではなくSOHOにあり、オープニングに行けばいつもアーティスト同士のコミュニケーションがありました。当時はもっとローカルな感じで、ニューヨークのアーティスト達は仲良く協力していたという感じですね。でも今ではブルックリンやクイーンズへアーティスト達が‘移動してしまい、以前より海外在住のアーティストが展覧会をするようになり、だんだんとローカル性というものが希薄になってきたような気がします。

C:以前も海外からやってきたアーティストはたくさんいたわけですよね?

MM:その頃は、今よりももっと「自分はニューヨーカーだ」という意識を強く持っていたような気がします。もちろん本当の意味で、ニューヨークで生まれ育った人は1%にも満たないのかも知れませんが、以前からニューヨークにいたアーティスト達は、自分が何処の国から来たのかというよりも、もっとニューヨーカーとしての意識を持って制作しているという感じでしたね。

C:以前と比べて、現在のニューヨークのアートシーンはどのように変化したと思いますか?

MM:以前はあまりグローバルな感じではなく、どちらかというと、ニューヨーク自体が盛り上がっているような感じでした。でも最近は世界の舞台がニューヨークになり、海外から作家がきて、ローカルからグローバルな方向に変わってきたという感じですね。以前、SOHOに「American Fine Arts」という画廊がありましたが、そこはアーティストの登竜門みたいなところで、そこから発掘されたアーティストは、ニューヨークのアーティストとして認められました。様々な文化やジェンダーの作家の作品をアートワールドが評価するようになったので、ニューヨークのシーンで活躍している作家だけでなく、海外で認められた作家もとても活動しやすくなったのではないかと思います。

C:森さんにとってニューヨークの魅力とは?

MM:14年前にニューヨークへ来た当時は、たぶんニューヨークの魅力に惹き付けられたのだと思います。ニューヨークはアートに対するサポートが全然違のです。見返りを期待せずにサポートする。そういった情熱を持った人達がたくさんいます。蒔かれたアーティストという種にいっぱい水を注いでくれるから、アートもすくすくと育っていくのだと思います。そういった意味でニューヨークという土壌は、アーティストにとって大変育ち易い場所ではないでしょうか。私自身にとっては(このニューヨークという場所が)あまり磁場を感じない場所であると思っています。例えば、ヨーロッパへ行くと、重圧な歴史のある文化ですから、何かとても重い磁場を感じてしまうのです。そうすると自分の社会的な位置は、いつもアウトサイダーであり、私は社会に属さない立場のように感じられるのです。日本でも同じように長い歴史があり、完成された、あまり変動のない社会があります。私は日本でもアウトサイダーであり、同じように重い磁場を感じます。つまりどちらに行っても社会が決めたアイデンティティーしか持つことができないのです。ニューヨークにいると、様々な人が住み、多様な文化があり、許容範囲が広いというか…自分のなりたい人物像を想像し、自分らしく自由でいられることができます。

C:ニューヨークでアーティストとして活動するにあたって、重要なことは何だと思いますか?

MM:今、何が起こっているのかというのを知るには良いと思います。ただ(ニューヨークは)本当に展開が速い場所です。動向が変わったり、たくさんの人達が入れ替わったりして、とってもハプニングしている場所です。その中で一番難しいことは自分を失わないことだと思います。いつも自分のことをしっかりと見つめていて、自分の存在性だとか、実現したいことや、自分の希望だとか夢だとか、そういったものをしっかりと自分自身で分かっていないと、いつの間にかニューヨークにただ巻き込まれて、振り回されているだけになってしまうという恐ろしさがありますね。そして本当に一番大事なのは、ニューヨークに限らず、どんな仕事をしていても、何処に居ても、どんな時でもそれは言えることだと思いますが、自分を信じられる事、信じることではないでしょうか。

C:ニューヨークで活動していく中で、困難なことや不便なことはありましたか?

MM:ニューヨークでは特に周囲の動きが速いので、相手と一生懸命コミュニケーションしようとしないと誤解が生じることがあります。何か問題が起きる時は必ずコミュニケーションのミスや説明不足が原因です。日本の社会では言葉を交わさないでもお互いが理解し合えるということもありますが、もちろんこちらでそれは通じません。だからハッキリと「こうして欲しい」ということを相手に伝えることが大切です。私自身も来たばかりの頃はそれでよく泣いてましたね(笑)当時は小さな作品を作っていたのですが、それをひとつの工場では作れなくていくつかの工場に別けて発注したりすると、最後にそれらを合わせてひとつの作品にする段階になってそれが合わないとか。日本ではちゃんと寸法を知らせればその通りに制作してくれますが、こちらではなかなかそうはいかないのです。だから絶対にミスがないようにするには、実寸の型紙なんかを使って説明しないといけなかったですね。最近ではこちらも相手のキャパシティが分かってきましたし、向こうも私のデマンドが分かるので大丈夫ですが、もともとニューヨークにはいろんな人種の人達がいるので、自分と同じ価値観で仕事をしてくれるチームっていうものをつくるのが大変でした。そういった人達に出会うまでにとても時間が掛かりましたね。

C:森さんから見て、日本とアメリカの現代アートに関する認識の違いはどのような部分だと考えますか?

MM:日本の現代美術のシーンをあまり良く把握していないので、ハッキリとしたことは言えないのですが、ただ、作家達を育てていく環境作りというのがまだまだなのかなあと思いますね。まずアートをサポートするには、画廊とか美術館が揃っているだけではなく、欧米では一般の人達が実際にそれをコレクションするコレクターがいます。作品を理解して、愛して、それを収集するような人達がいないと、どんなにアーティストが頑張っても、実際に資金的なサポートがなければ継続できないのです。そういった、アーティストを育てていく土壌作りみたいなものがだんだんと行われているとは思いますけれども、まだまだなところもあるのかなあと思いますね。

C: 森さんは普段どのようなものからインスピレーションを受けるのですか?

MM:去年はスコットランドの遺跡、一昨年は日本各地の縄文の遺跡というように、いつもリサーチをしています。私の場合は、未来というものは過去にあるという気がするのです。過去からずっと続いてきている時間という沢山の「点」があって、それが 繋がって「線」となっていく。自分がひとつ「点」を打ち、次の時代の人がまたひとつ「点」を打って、またそれがずっと未来に繋がっていく。そういった意味で時間は、「メビウスの環」のようになっていると思うのです。問題は今にあっても、答えは今にあるとは限らない。だから今に答えを求めるのではなく、私の場合は未来を知るために過去に遡ってみるのです。

C:それでは最後に、最近の作品と日本で開催中の個展について聞かせて下さい。

MM:作品のタイトルは「Tom Na H-iu」といって、これは古代ケルト語で、「輪廻転生する前の魂の再生の場」というような意味です。一昨年ぐらいから縄文のリサーチで日本の各地を旅し、同時代の紀元前3000年のスコットランドの「スタンディング・ストーン(石柱)」を去年見てまわりました。そして自分が先史時代の太古の遺跡を見ているうちに、太古の人達の生死観というか、“死”に対するイメージというのが、壮大で宇宙的に感じられたのです。わたくしは、現代の「スタンディング・ストーン」を創りたいと思いました。(「Tom Na H-iu」は)星の最期の状況である超新星爆発の際に、「ニュートリノ」という物質がたくさん放出されるのですが、それを「神岡宇宙素粒子研究施設(スーパーカミオカンデ)」という施設で検出し、その検出データを受けて、宇宙で星が亡くなった時の「死の光」というものをイメージして、ガラスでできた「スタンディング・ストーン」の中に光の映像が映し出されるといった作品です。



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森万里子
チェルシーカレッジオブアート卒業。
ロンドン留学後、ニューヨークの「ホイットニー・インディペンデント・スタディー・プログラム」を経て、1993年よりニューヨークを拠点に活動。1997年「ベネチア・ビエンナーレ」にて優秀賞受賞。シカゴ現代美術館、ロサンジェルス州立美術館、ポンピドーセンターなどの世界の主要美術館で個展を行っている。



text by Sei KOIKE, photo by Akiko TOHNO, Richard Learoyd
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