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『COOL』は、世界で活躍するアーティストやニューヨークで注目のアートシーンなどを紹介していくアートマガジンです。創造するということ、かっこいいものを見ること、そこから感じる何かを世界中で共感できたらおもしろい!文化が違うとこんな違ったかっこよさもあるんだ!そんな発見・感動をしてもらえるボーダレスなアートマガジンを目指しています。現在、全米各地やカナダ、フランス、日本、中国などで発売中。誌面ではなかなか伝えられないタイムリーな情報や、バックナンバーに掲載されたインタビューなどをこのブログで公開していきます。
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ヴィデオ・アートの第一人者として世界的に高い評価を受ける、ニューヨーク出身のアーティスト、ビル・ヴィオラ。1970年以降、ヴィデオ・アートを作り続け、全米やヨーロッパ各地で数々の展覧会を成功させてきた。また彼の妻であり、仕事のパートナーでもあるキラ•ペロフは、常に彼の制作活動の支えとなってきた。見る者をその世界へと引き込む彼の作品の多くが、人間の根源とも言える「誕生」や「死」をテーマとして取り上げている。また彼は、1980年代に日本に長期滞在した際に、日本の伝統や文化から多大な影響を受けたアーティストでもある。10月14日からは、東京六本木にある「森美術館」でその集大成とも言える、アジアにおける初の大規模な回顧展が行われている。今回我々は、彼が活動の拠点を置くカリフォルニア州ロングビーチのスタジオで独占インタビューに成功。彼がアート活動をはじめるまでの経緯や、彼にとっての芸術活動の在り方について語ってもらった。



COOL: どんな少年時代を過ごされましたか?

BILL VIOLA: 僕はNY郊外で生まれ育ったんだ。周りはいつも同年代の様々な人種の子供達で溢れていて、よくみんなで一緒に遊んでいたね。それはアメリカならではの、とても賑やかで楽しい環境だったよ。普段はなかなか自然を目にする機会がなかったけど、ある年の夏、ビーチに家族で遊びに行ったとき、空の青さと海の広さに感動したのは一番の思い出だね。

C: アート活動をはじめたきっかけは?

B: 3歳の頃に母親に絵を描くように薦められたんだ。それで家やボートや人などを頭の中に想像しながら描くようになった。そのうちに、家族や親戚、周りの人が皆、僕の描く絵にすごく興味を持つようになったんだ。幼稚園の時に初日の授業中に竜巻の絵を描いたんだけど、先生がそれを全員の前で見せてね。とても恥ずかしかったのを覚えているよ(笑)でもそれ以降も、僕が授業で描いた絵はよく注目を浴びていたんだよ。

C: 影響を受けたアーティストは誰ですか?

B: 難しい質問だね(笑)たくさんのアーティストからいろいろな影響は与えられてきたと思うけれど、中でもヴィデオ・アートの創始者とも呼ばれるナムジュン・パイク(Namjune Paik)は、僕にたくさん勇気や自信を与えてくれた。さらに展覧会を開くことも薦めてくれた。彼は僕に芸術活動をするチャンスを与えてくれたんだ。僕は彼の作品に影響を受けたというよりも、彼のアーティストとしての生き方に共感しているんだ。他にも、20世紀の偉大なピアニストの一人であるデビッド•テューダー(David Tudor)も、僕にサウンドを学ばせてくれた大切な人だね。1973年に、はじめて彼と出会ったんだ。当時エレクトリック音楽を勉強していた僕は、彼と8年間にわたって供にパフォーマンスしてきた。彼は物静かな人であまり話したりしないんだけど、溢れるばかりの強いエネルギーに満ちた人だった。彼から学んだサウンドスキルは、今の僕のビデオ制作に大きな影響を及ぼしているんだ。

C: ビデオアーティストとしてどんな瞬間に喜びを感じますか?

B: ベッドでゆっくり眠れる時間が取れたときだね!(笑)いや、それは冗談だけど、実はアート活動は僕にとって喜びではないんだ。作品を思い通りに作り上げることに喜びを感じることはあっても、ほとんどの場合は答えを見つけようと奮闘している。夜眠りにつくときも、どうしたらこの作品をもっとよくできるかとか、たくさんのことを考えていて気が張りつめているんだ。例えば、木を切ってテーブルを作る作業にはきちんと終わりが見えているけれど、アートには終わりがないよね?僕は自分の作品に100%の満足感を感じたことはないんだ。人間は皆完璧ではないからね。アーティストもその一部だ。物事に対する答えを知っているから作品を作り続ける訳ではなく、ただ心の中の空いたスペースを埋めていくために、僕たちは作品作りに没頭しているのではないだろうか。

C: 制作のアイデアはどんな所から生まれているのですか?

B: 今までアイデアを得るのに困ったことは一度もないよ。僕は常にノートにアイデアを書き留めているからね。今僕が座っている後ろの本棚の上にたくさんのノートが並んでいるだろう?そこには僕のアイデアがいっぱい詰まっているんだ。僕の今までのビデオ制作はこの中からのほんの一部にすぎない。肝心なのはそのたくさんあるアイデアの中からどれを作品化するか、いつ作品化するか、そしてどう作っていくか決めることなんだ。いくら頭の中で大きなことを考えていても、それを作品にできなかったら意味がないだろう?実際に作品にして、周りの人々にどう影響を与えていけるかっていうことが大切なんだ。

C: あなたの作品を観たオーディエンスに何を感じ取ってほしいですか?

B: 僕らの生活はテレビやラジオや雑誌など実に多くのメディアに囲まれていて、人々は目にした物や耳にした物をそのまま受け止めることに慣れすぎてしまっている。見た物に対して自分がどう感じるかについて考える機会がなくなってきているために、自身で考えるということをしなくなっているんじゃないかな。例えば、毎日コーラを飲めと渡されてきた人が、ある日突然水を渡されたらきっと戸惑うし気に入らないだろう?それと同じだよ。20世紀のアートは新しいテイストを取り入れていくアヴァンギャルドなものなんだ。しかし新しいものを受け入れるというのはとても時間のかかることだよ。だって受ける側の感性はクリアではない。既に何かの影響を受けてしまっているからね。人々は自分の考えが正しいと思えなくなってきている。僕の両親は、僕のアートワークを見ることを躊躇していた。それは僕が伝えようとしていることをいまひとつ理解できなかったからなんだ。そしてそれを恥だと感じていた。でも本当はそんなふうに感じる必要はまったくないんだ。作品を見て自分が感じたこと、それが答えなんだ。正しいか間違いかなんて誰にも決められないんだよ。

C: あなたの作品には「誕生」や「死」といったテーマが取り上げられていることが多いですが、それはなぜですか?

B: それが人間の人生の根源だからさ!1988年に僕と妻の一人目の子供が生まれたとき、僕は出生の瞬間に立ち会ったんだ。その時の感動は一生忘れることができないよ。それは本当に奇跡的な体験だった。そして1991年には僕の母が亡くなった。僕の目の前でベッドの上でね。生と死の瞬間をこの二つの出来事を通して目の当たりにして以来、僕はもう静止画像の作品を作ることができなくなった。人間の本質のように深くて美しく、時として醜い、そういったものを表現したくなったんだ。

C: その人間の本質の一つである「死」をオーディエンスにどう受け止めてほしいですか?

B: 大切なのは「死」をネガティブなものとして受け止めないことだ。「死」はいつか必ず自分にも訪れるもの。それは悲しいことだけど、とても深いものなんだ。

C: あなたは作品の中で「スローモーション」を多く使用されていますよね?それはなぜですか?

B: ハエは数日間しか生きることのできない生物だが、人間は恵まれていれば80年以上生きることができるよね。長いとか、短いとか、我々の時間の感覚はそれぞれ違っているんだ。何かがすごいスピードで起きたとき、僕たちの体は考える間もなく反応している。例えば、車の事故に遭ったときだって、しばらくしてからふと我にかえったりする。僕たちのマインドは後からついてきているんだ。
でもその瞬間に実はたくさんの事が起きている。瞬時に起きている物事に人々は気付いていない。作品の中で「スローモーション」を使う事によって、「瞬間」という小さなタイムフレームに目を向けることができるんだ。

C: テクノロジーが発達したことによってあなた表現の可能性は広がったと感じますか?

B: そうだね、1970年代の頃と比べたら本当に変わったよ。自分はとてもラッキーだと思う。当時、テクノロジーの進歩にとても感動を覚えたし芸術活動の新しいフォームとなっていくだろうと感じたよ。でもそんなテクノロジーの進歩以前に、僕は既にヴィデオ・アートをはじめたときから「自分はこれを一生続けていくんだ」と確信していたんだ。

C: 過去の展示会の中で印象的なものはどれですか?

B: どれももちろんよかったけれど、1979年に開いた個展『Projects: Bill Viola』 はとても印象的だった。ニューヨークの「MoMA(The Museum of Modern Art New York)」で、僕が28歳のときに開いたものだよ。1996年にはパリの「ソルペトリア」という大きな教会で『Messenger』と『Crossing』の2つの作品を上映したんだけれど、それも心に残っているね。

C: 2005年の春にフランス、パリで開かれたオペラ『トリスタンとイソルデ』はいかがでしたか?

B: LA交響楽団のイーサペッカ•サロネン、監督ピーター•セラーズ、そしてリチャード•ワーグナーの音楽による4時間の映像と音楽とのコラボレーションを作り出すことができたこのオペラは本当に素晴らしかった。実は、このオペラは来年の春にロサンゼルスの「ディズニーホール」で、そして来年の5月にはニューヨークの「リンカーンセンター」でも再演される予定なんだ。

C: 日本での1年半の滞在はあなたの作品制作にどう影響を与えていますか?

B: 日本で「外国人」として生活することを初めて体験した。文化や、言葉や人種の違いを肌で感じることができたとても良い経験だったと思う。日本はテクノロジーの発達が最も著しい国だけど、その一方で守られてきている伝統文化もある。過去と現在、古いものと新しいものが共存した国だという印象を受けた。それが僕の視野を広めてくれたと思っているよ。

C: 今回の日本の展覧会で、ご自身の作品のタイトルのひとつでもある『はつゆめ』をタイトルとして選んだ理由は?

B: この案はキラと僕で思いついたものなんだ。確かに『はつゆめ』は日本にいる間に作った作品だから、今回の個展のタイトルにしたというのもあるんだが、実を言うと、『はつゆめ』という作品ばかりにそれほどフォーカスして欲しくはないんだ。ただ純粋に「一年の初夜に見る夢」という日本的なアイデアから取り上げたものだからね。

C: 最後に、日本のファンの人々にメッセージをお願いします。

B: いろいろな物を目にして、耳で感じて、自分の感性を大切にして欲しいと思う。(大事なことは)障害にばかり目を向けずに、先ずは何事もはじめてみることだよ!



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ビル・ヴィオラ(Bill Viola)
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COOL:先ず始めに、現在手掛けているお仕事について教えてください。

TAKASHIRO:ええと、もうじきDVDが出ます。本業はコンピューター使って映像作る職種なんですけど、最近僕DJをやっていて、DJとして選曲してVJとして映像付けたDVDをリリースします。ユニバーサル・デフジャムから9月7日発売です。

C:先日“ageHa(新木場にあるクラブ <http://www.ageha.com/>)”でVJとしてイベントをされていましたけど、いかがでしたか?

T:もう、めちゃめちゃ盛り上がりました。(クラブ内にある)プール開きだったんですけど、プールパーティみたいな感じになって盛り上がっちゃって、人が入りきれなくって途中で入場規制をしていました。

C:DJを始めたのはどうしてですか?

T:去年の夏に僕は40歳になったんですけど、毎年新しいことを一個ずつやろうと思って、それで始めました。DJというとクラブでやるものだと思うんですけど、そうじゃなくてクラブでやらないDJを目指しています。いつも新しいメディアと新しい場所を探し続けることを考えているので。僕のホームグラウンドはお茶の間なので、お茶の間で楽しんでいただける、家で聴いて楽しんでもらえるようなDJになれたらいいですね。

C:VJは10代の頃からされていたそうですが、何に影響を受けていましたか?

T:僕は日大芸術学部だったんですけど、その頃から問題児だったんで、「大学の先生に教わることはない」とか言って、ニューヨークまで行って、ジムジャームッシュとかスパイクリーとか観てきました。僕にとって海外の影響は大きいですね。80年代のニューヨーク・インディペンデントの映像シーンとか、そういうサブカルシーンとか音楽シーンとかにすごく影響を受けていました。
当時、クラブと言うとパラダイスガレージが盛んだったんで、80年代後半は毎週のように行っていました。

C:ジムジャームッシュやスパイクリーって、今でもアナログを大事にしているような印象があるので、高城さんのデジタル的な印象とは逆のような気がするのですが・・・

T:彼らと同じことをしたら80年代で止まってしまうので、僕はそれを越えて行くというか、彼らのそういうスピリットに影響受けつつ、最先端のテクノロジーとメディアを駆使していきたいなと思っています。

C:毎日20時間くらい働いているそうですが・・・

T:働いているというより、どっちかっていうとクリエイティブなことをしているということですね。4時間半くらいの睡眠が丁度よいんです。

C:常に新しいことを取り入れて、更に新しいことをやっていっているのが高城さんだと思うのですが、情報収集をしたり、アイデアを練る時間はどうやって確保しているのですか?

T:まず僕は情報収集はしない。モニターはあるけどテレビはないです。チューナーをもっていないので。WEBもまず見ない。雑誌も読まない。情報ダイエットをしています(笑)。インターネットとかで得た情報は、行ったこと無いけど知ってるっていうのが多くて、そこで終わっちゃってるの。これを情報デブと言ってるんですけど(笑)、そういう情報収集をやめると痩せたり、ほんとの情報を得ようとする。行って、「あ、ほんとだ」って思う。正直、情報は今はもう捨てていく時代です。収集しない。本当に必要なモノだけを残すべきだと思います。インスピレーションは自分の中にあったり、行動することによってその場所でいろいろ感じたりするわけで。それでもう十分でしょ?
で、アイデアはどうしてるかっていうと、情報収集をしない代わりに自分と向き合う時間を大切にします。1日1時間半から2時間くらいは必ずそういう時間をとります。今日もずっとデニーズ(※)でメモしてたりして、こういうポストイットにメモしています。(ポケットからポストイットに書かれたメモが山のように!!)アイデアは常にここにいっぱい入っています。ポケットいっぱいのアイデアを一個一個実現していっているんです。

C:どうしてポストイットなんですか?

T:携帯電話で話しながらでも貼って書けるのでずれないし、ゴミみたいだけど色んな色だしキレイじゃん?ははは、すごいいいかげん(笑)。僕はあんまりオシャレ系なクリエーターとは違うんですよね。

C:ハイパーメディア・クリエーターという肩書きはどうやって生まれたのですか?

T:大学生の時なんですけど、当時から僕は映像、音楽、グラフィックデザイン、メディアプロモーションなどいろいろと横断的にやっていて、ある時大学に取材に来た新聞記者の人が、君は映画監督でもないし、テレビのディレクターでもないしっていって名前をつけてくれたんです。紙媒体も携帯電話もテレビもライブもいろいろやって、メディアを越えて横断的に自分の表現をしていくというのが僕なんで。

C:これはなんですか?(小さいモニタと基盤が合わさっている見慣れないものがディスクに・・・)

T:それ、今作っているんです。モニタが寝てて、それを起こすと始まるっていうメディア。本て、こうやって立てて読むでしょ?だから、モニタもそうやって見ることができないだろうか、と、ほんと実験的に作っているんです。独学でいろいろやってみているんだけどね。基本的には秋葉系(※)なんだよね僕(笑)。ニューヨークに行くとずっとキャナルストリートでパーツを見ています。5番街なんて行かないですよ。あ、たまには行きますよ、仕事もあるんでね(笑)。
今年は1月にニューヨークに行きました。ソーホーにあるベイシングエイプのドキュメンタリー映画をプロデュースしているので、その撮影に行きました。そのすぐ側にあるルイビトンもクライアントですしね。(ルイヴィトン×村上隆のアニメーションムービー”SUPERFLAT MONOGRAM”をプロデュース)
日本を代表する世界のブランドとして、ベイシングエイプは応援していますね。

C:世界各地飛び周ってあちこちで活躍されていますが、どこが一番好きですか?

T:東京。自分の街だからね。日本が好きなんで日本を楽しみます。
1週間前までギリシャとかヨーロッパを周っていたのですが、昨日は湘南でロケ班して、そのあと海の家で遊んでいました。そして今週末は北海道に行きます。
しばらく僕は沖縄のブランディング、観光キャンペーンを手掛けていたのですが、それがかなりうまくいったので今度は北海道を手掛けるかもね。
基本的にクリエーターとかアーティストって、「作る」「作って伝える」っていう2つのことをやっているんですよね。昔のクリエーターやアーティストって、ただ作ればよかったけど、今は、作ってどう伝えるかっていうことまで考えないとだめな時代じゃないですか?僕は「作る」「作って伝える」の他に「伝える」っていう仕事もやっているんです。モノがあってどう伝えるか。メディアのプロ、コミュニケーションのプロとして、コミュニケーションを手伝って欲しいという依頼がすごく多いです。簡単にいうとクリエイティブもコミュニケーションですから。沖縄を盛り上げたりとかっていうのは、完全に「伝える」っていう部分だけやっています。もう素材は沢山あるし良いわけじゃないですか?綺麗な海はあるし、おいしいものは沢山あるし、楽しいし。それをどう伝えていくかというのを仕事として依頼されます。
あんまり自分がこうアーティストだとかコマーシャルはやらないだとかいうのはなくて、来た仕事を順番にやるというスタイルです。スケジュールさえ合えばどんな小さな仕事でもやりますね。

C:ニューヨークと東京、比べてみて自分の反応だとか評価だとか違いは感じますか?

T:今はあんまりないんじゃないですかね。東京葛飾柴又(※)生まれで根っからの日本人だし、日本が大好きで日本中をぶらぶら旅行したりしているんで、日本で受けないとニューヨークでも世界でも受けないんじゃないかなぁって思います。80年代ってニューヨークがおもしろい時代だったと思うんですよ。音楽もアートもクラブも全部。で、80年代後半から90年代前半ってサンフランシスコがおもしろくて、90年代後半はアムステルダムがおもしろくて、今は東京がおもしろいと思います。日本のファッションブランドは世界のパリコレでもニューヨークのソーホーでも活躍してるし、中田英寿のポスターなんかも世界あちこちで見られるし、日本人は世界で頑張っていると思います。

C:子供の頃の夢はなんでしたか?

T:ええと、小学校低学年の時に、将来の夢は「鳥」って書いておこられました(笑)。「いいなぁ、鳥って。働かなくていいし」って思って(笑)。

C:では、今の将来の夢は?

T:先のコトはわからないですよね。2010年くらいまでもう仕事が入ってしまっているし。
サッカーの仕事も結構来ているんですが、僕は全くサッカーわからないんです。中田英寿と仲良しなんですけど、彼は全くのコンピューター音痴。彼は夏と冬と年に2回しか休みがないのですが、どちらも僕と旅行していましたよ(笑)。僕がロンドンにいて、彼はイタリアでしょ?合流して、ブルガリア、ラトビア、リトアニアなど一緒に周りました。お互いにお互いの仕事のことが分からないのがいいんじゃないですかね?(笑)まぁ、いろんなジャンルの仕事が来ますが、順番にやって行きます。僕スターウォーズがすごい好きなんですけど、ギリシャ神話とかもそうだけど、自分の人生を三部作に捉えていて、第一部は今まで生きてきた自分は仮の自分であって本当は違うことに気づく。第二部は自分が本当にやらなくてはいけない仕事に向かって全うして色んな人に会いながら旅を続ける。第三部は最後の仕事を全うして人生を成し遂げる。僕は今第二部の終わりくらいかな?まだ僕は旅の途中だねぇ。

C:今後の予定は?

T:8年振りの書き下ろし「デジタルは終わった次は何だ」っていう本を出します。デジタル系の仕事はもちろん沢山来るので、お前がそれ言っちゃうの?って言われそうですが(笑)。日本人に向けた新しいコンセプトみたいなのを書くので、是非読んで欲しいです。最近読んだ本なんですが、マークレナードっていう人の本が面白かったんですよ。この人はビジョナリストなんですけど、次世代のビジョンをつくる、次はこうなるっていうビジョンをつくる商売で、日本にはないものですよね。この人のビジョンはヨーロッパでもダントツにいいと思います。この人はイギリスのブレア政権とかイギリスの景気の基本を考えていたし、今度はイギリスだけじゃなくて、ヨーロッパ全土を考えていて、非常に良い本でした。これに負けないくらい、日本の新しいビジョンを僕は作りたいですね。僕、身体鍛えるのにもはまっていて、体脂肪率は今7%くらいなんです。ジムにひたすら通っています。身体鍛えるとモバイル力があがるっていうか、遠くまで行けるじゃん?



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高城剛
映像作家/ハイパーメディア・クリエーター/フューチャー・パイレーツ代表取締役/東映アニメーション特別顧問

東京葛飾柴又生まれ。日本大学芸術学部在学中に、日本最大のビデオアート・コンペティション「東京国際ビデオ・ビエンナーレ」でグランプリを受賞。その後映像作家としてデビューし、デジタル時代の映像作家として全国的・世界的に注目を集めるようになる。近年では、全世界300店舗で上映されたルイヴィトン×村上隆のアニメーションムービー”SUPERFLAT MONOGRAM”をプロデュース。

ホームページ http://www.takashiro.com/



text, photo by Mieko SAI
チェルシー“Transplant Gallery”で行われた展覧会『Takagi Masakatsu + Saeko Takagi—Color of Empty Sky—』(4/29-5/26)では、高木正勝と高木紗恵子の共同プロジェクトとして、最新作の『Color of Empty Sky』の初上映と同時に、“ATM Gallery”ではドローイングの展示『Zert』が行われた。実写映像を使った映像作品が多い中で、素材から全てを作り上げたアニメーション作品『Color of Empty Sky』は、両作家の新境地を切り開く作品として注目を浴び、オープニングには多くの人が詰め掛けた。今回、高木さんはその多忙なスケジュールの合間を縫ってCOOLのインタビューに応じてくれた。

COOL:高木さんの簡単なプロフィールを教えてください。

Masakatsu Takagi:79年生まれ、京都出身です。外国語大学の英語科にいましたが、1年で中退して、その時に知り合った仲間たちとフリーペーパーのような雑誌を作っていまし た。その雑誌にカセットテープで音楽を付けていたりしていたんですが、その雑誌が FMラジオ局の賞を取ってしまったんです。その頃写真をやっていたこともあって、メ ンバーの作る音楽に映像を付けてみようということになって。それで写真の延長と いう感じでビデオを始めたんですが、そのうちにそれがすごく面白くなってしまったんです。1年ほど続けていたら12本程の映像が出来たんですが、それをたまたま東京の人が見 てくれて、映像のDVDをカタログ感覚でリリースすることになりました。その頃からクラブ でライブをするようになったのですが、その反響はすごかったですね。それからどんどんプロ意識が上がっていきました。もともとクラブやテクノにはあまり興味がなかったので、それからは自分の作品として音楽と映像を作り始めました。最初、音楽は映像のためのおまけだったんですが、音楽がいいと言ってくれる人も結構いて、それで今は両方が成り立っているという感じです。

C:今回、高木さんはトランスプラント・ギャラリーで、奥さんの紗恵子さんはATM ギャラリーで、それぞれ同時に展示を行ったわけですが、その経緯について聞かせて下さい。

MT:まず、ATMギャラリーの個展が先に決まりました。トランスプラントでは、以前から 僕のDVDを置いてもらっていてやり取りがあったので、この機会に同時にやってみよ うということになりました。また、UAのために制作したプロモーションビデオを、ひとつの作品として、美術館やギャラリーなどで見せたかったということもあります。

C:UAコラボレーションすることになったきっかけは何だったのですか?

MT:(彼女が)僕の作品である『world is so beautiful』のDVDを見てくれて、それでオファーがきました。最初の作品である『Lightning』を作っている途中で、彼女に見せたのですが、思っていたのと違うと言われて(笑)。『world is so beautiful』みたいになると思っていたと言われたんです。結局、完成した時には納得してもらえましたけどね。最初の作品『Lightning』はUAから依頼を受けて作ったんですが、2作目の『Color of Empty Sky』はこちらから話を持ちかけて、あくまでも作品として作ったんです。ですから彼女の音楽だけを借りたという感じですね。『Lightning』ではUAの考えを確認しながら作り上げていったんですけど、『Color of Empty Sky』のほうでは、完全に僕たちの考えていることを形にしました。

C:では『Lightning』を作る過程では、UAとの話し合いはなかったのですか?

MT:最初の 『Lightning』は、プロモーションビデオだったので、もちろん打ち合わ せをしました。でも、彼女は、影がまったくない光の中に自分がいるというイメージ で曲を作ったみたいなんですけど、それが僕の中の曲のイメージと違ったんですよ。 それに僕は『Lightning』を“閃光”という意味で捉えていたんです。でもそれが実 は“雷”だったということが後で分かって(笑)。それからはよく話し合いましたね。

C:高木さんの作品は、実写映像とパソコンで仕上げるものが多いと思うのですが、今回の作品は今までとはちょっと違いますよね?

MT: 以前は、自分で撮影してきた映像をベースに作品にしてきました。UAのビデオを 作ってからは、同じやり方でも形を変えて何点か作ったりしましたね。この作品を 作ってから作風が変わってきました。

C:『world is so beautiful』は、もともとアニエス・べーのために作ったそうです が、きっかけは何だったのですか?

MT:これも、アニエス・ベーの会社の人が僕の作品をたまたま見てくれたんです。ちょうど日本のアニエス・ベーが、何かアートに関わることをしたいということで、それでフランスの本社から許可が出たんです。ですから何の前例もなかったので、すごく自由にできましたね。実際に関わる以前に、アニエス・ベーのショップの雰囲気がすごく好きだったので、あそこに僕の映像があったらと思っていたんです。

C:『world is so beautiful』の中の『Birdland』という作品について少し教えてください。

MT:アイディア自体は、いつも作り始めてから途中で思いつくんです。まず最初に、 撮ってきた映像に色をつけたり、技術的な面でできることを試したりして。シリーズ ものの場合は、全体として伝えたいテーマみたいなものが、いつも簡単な漢字で思い浮かぶんです。例えば「成長」「発芽」「飛躍」だったり。いつも何か爆発するようなエネルギーに関連したものですね。 僕の映像のプロセスで言うと、最初の1分間だけでも、いつも種としてラフな部 分を残すんですよ。それがちょっとずつ、どう成長して行くかを見るのが好きで すね。自分でも想像しなかったものにたどり着きたいという気持ちが常にあります。 最初から最後までひとつのコンセプトでガチッと決まったものを作りたい訳ではない んですね。一枚の絵を5分間の映像でやっているような感覚なんです。最終的には見え なくなる下書きの部分もしっかり入れたいですね。後のほうがクオリティーが高いと いうよりは、全体を見た時に一枚の絵を見た時と同じ印象を受けられるものを作りた いのです。だから『Birdland』の場合も、人の動きと鳥の映像を見ていて、こう作ろうか なって思うぐらいです。あと作品のためにわざわざ撮影にいったりはしないですね。最初から決めて作らないので、ろくでもないものが出来たりするときもありますよ(笑)。

C:どこから作品のインスピレーションを受けますか?

MT:旅行ですね。年に3、4回は旅に出ます。つい最近ではネパールに行きました。 旅に出ると大体2つくらいのアイディアがまず頭の中に浮かびますね。特にメモやス ケッチをとったり、撮影をする訳ではないんですが、ずっと気になっているものは、 それから最低半年または、1年以上してから作品として外に出てきたりします。だから何 か撮影する時は、無意識のうちに前に受けたインスピレーションに促されてしている んだと思います。インスピレーションは、まず1回発酵させて、自分でもトランス状態にならないとだめですね。自分だけど自分じゃないみたいな複雑な感覚じゃないと、自分の作品と思えないんですよ。

C:電子音楽やビデオアート、他のアーティストのライブのツアーに参加したりと 様々なことをされていますが、どの部分にプライオリティーをおいているのですか?

MT:特に優先とかはしていなくて、その時にやりたいことをしています。大体交互にその波がやってきます。どっちかに集中したら、もう片方はうっとうしくなってしまうんです(笑)。

C:8枚目のDVD『Coieda』について教えてください。

MT:これは1年以上前に作った作品です。今までに出ているDVDの中では一番新しい作品です ね。それまでの作品は、コンピュータで作った音、生楽器の音、歌などが入っていてポッ プミュージック風だったりというように、別れてしまっていいて、それぞれに関連性が なかったんです。その時の気分によって全く違うものが出来るので。『Coieda』は、 今まで分けていたものを全部一緒にして、地に足がついた作品になっていると思います。DVDとしては、今まで4年間やってきたことの集大成のような作品ですね。映像に関して は、『world is so beautiful』が自分の思っていたことをすべて吐き出してしまっ たような作品だったので、最近はまた自分でも新しいと思えるような映像が作れるようになってきました。『Coieda』はそのちょうどその途中経過みたいなものですね。

C:今後はどんなことをする予定ですか?

MT:今回ニューヨークの美術館で、素晴らしいアーティストたちの作品を久しぶりに見て思ったんですが、今までは狭い枠の中しか見えてなくて、そこで一番になったらいいって思ってたんです。まだ若いからこんなもんでいいだろって。でもこれからは40、50歳のすごい人たちとも対等な所でやっていかないといけないなと、初めて強烈に思いましたね。



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高木正勝
ミュージシャン/映像作家
全国のアップルストアや、金沢21世紀美術館、東京都現代美術館、アニエスbショップなどでの作品上映のほか、細野晴臣と高橋幸宏のユニット『Sketch Show』やデビット・シルビアンの全米・ヨーロッパライブツアーにも参加、ドイツやニューヨークのレーベルからはアルバムもリリースし、UAやYukiといった有名アーティストのプロモーションビデオの制作も手がける。



text by Kazumi UMEZAWA, photo by Wallace Spain
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