『COOL』は、世界で活躍するアーティストやニューヨークで注目のアートシーンなどを紹介していくアートマガジンです。創造するということ、かっこいいものを見ること、そこから感じる何かを世界中で共感できたらおもしろい!文化が違うとこんな違ったかっこよさもあるんだ!そんな発見・感動をしてもらえるボーダレスなアートマガジンを目指しています。現在、全米各地やカナダ、フランス、日本、中国などで発売中。誌面ではなかなか伝えられないタイムリーな情報や、バックナンバーに掲載されたインタビューなどをこのブログで公開していきます。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』第4作目の海賊役を見事射止め、今後の活躍に注目が集まる俳優の松崎悠希さん。世界の舞台で実力派俳優としての名をあげるべく単身渡米。持ち前のポジティヴ精神で幾多の困難を乗り越え、夢に向かってまい進する彼の素顔に迫った。
--- 波瀾万丈なアメリカ生活の幕開け ---
巨大スクリーンの中で迫真の演技を見せる松崎が演技を学び始めたのは7歳の頃。母親が運営する全国組織である子供演劇「LABO」に11年間所属し、子供向けコメディーなどに出演してきた。2000年7月、彼はアメリカの有名学校で演技を学ぶために渡米する。しかし目的地のバージニア州に向かうも、応募資格から外れていたため受け入れを拒否される。次に移動したニューヨークでは、滞在先で全財産を盗まれるというハプニングに見舞われ一文無しになってしまう。それからしばらくの間、松崎はタイムズ・スクエア駅周辺でストリート・パフォーマーとして糊口をしのいだ。
「渡米後間もなかったので英語は当然ろくに話せませんでした。だから日本語の歌を歌いながら踊っていたんです」
言葉も通じず、食べ物や寝る場所も全く保証されなかったNYでの生活は、彼を精神面で一層強くした。そしてある時、インディペンデント映画『ブラックニンジャ』のオーディションに参加するためにペンシルバニアを訪れる。そこで松崎は見事に600人を抜き、準主役の座を射止めた。
「ストリートでパフォーミングしていた経験のお陰か、今でもオーディションなどでも全く緊張はしませんね。基本的にどんな事にも動じません」
その後、松崎は映画の都ハリウッドへと活動の拠点を移し、コミュニティ・シアターでのパフォーマンスや、インディペンデント映画への出演など、意欲的に俳優としての活動を続けた。そして2003年、トム・クルーズ主演の映画『ラストサムライ』の官憲役で、彼はついにメジャーデビューを果たしたのだ。
--- 「硫黄島からの手紙」で野崎一等兵として出演 ---
クリント・イーストウッド監督による映画「硫黄島からの手紙」。そのキャスティングはある日突然決まった。
「イーストウッド監督が野崎一等兵の役で僕を気に入ってくれて、キャストされたのが撮影の2週間前。台本を渡されたのは撮影の2日前でした」
詳細を聞かされないまま撮影に入った松崎は役作りに没頭する。その意気込みは並大抵のものではなく、食生活まで変えてしまうというストイックなものであった。
「野崎になりきるために、家族の写真や彼が働いていた洋品店の写真を実際に自分で想像して作ったんです。野崎という人間が生まれてからどういう人生を送ってきたかを細かく書き出してみたりもしました。さらに食べ物がないという時代に生きるとはどういう事か、それを実際に再現するために5週間ほとんど何も食べない生活を送ってみたんです。不思議なことに、始めの1週間を超えるとお腹が減らなくなり、2週間過ぎた頃には何も食べなくても大丈夫になりました。それでいて、傍から見たら何も口にしていないとは分からないくらい普通でいられるんです。時々めまいがしたりする事はありましたけどね(笑)そこまでやって初めて戦時中の人の気持ちに共感する事ができたんです」
洞窟内でのシーンを演じるために、滞在先のホテルではバスルームの電気を消したまま冷たい床に座り込み、爆撃音が入ったCDを聞きながら実際の洞窟をイメージしたりもした。
「洞窟内での雰囲気を再現して体験したら、あとは忘れてもいいんです。覚えて演技するのではなく、過去の経験から自然と出てくる行動を演技の中でもすればいい」
そんな松崎の演技に対する情熱は、イーストウッド監督の目にもしっかりと焼き付いていた。監督自身の提案によって野崎一等兵が登場するシーンが次々と付け足されていったという。撮影当時のイーストウッド監督と現場の雰囲気を松崎はこう振り返る。
「実はイーストウッド監督の撮影はリハーサルをほとんどしない。どのシーンもほとんど1テイクで撮り終えるといったユニークなスタイルでした。「演技は一度目が一番光っている」という彼の信条のもとやっていたようです。監督から演技のディレクションは一切受けませんでした。それぞれのシーンで何をするかを軽く説明されてすぐに撮影に入るんです。それだけ役者の演技力を信じてくれているので、プレッシャーもありましたが、とてもやりやすかったですね」
「将来はアメリカ人と同じ土俵で争いたい」と松崎は言う。
「英語での僕の演技を見た人に「この人、日本人だな」と気付かれないようになれれば勝ちですよね(笑)」
--------------------
松崎悠希
Interview by Yuka Kawaguchi, Photo by Yoshihiro Makino
--- 波瀾万丈なアメリカ生活の幕開け ---
巨大スクリーンの中で迫真の演技を見せる松崎が演技を学び始めたのは7歳の頃。母親が運営する全国組織である子供演劇「LABO」に11年間所属し、子供向けコメディーなどに出演してきた。2000年7月、彼はアメリカの有名学校で演技を学ぶために渡米する。しかし目的地のバージニア州に向かうも、応募資格から外れていたため受け入れを拒否される。次に移動したニューヨークでは、滞在先で全財産を盗まれるというハプニングに見舞われ一文無しになってしまう。それからしばらくの間、松崎はタイムズ・スクエア駅周辺でストリート・パフォーマーとして糊口をしのいだ。
「渡米後間もなかったので英語は当然ろくに話せませんでした。だから日本語の歌を歌いながら踊っていたんです」
言葉も通じず、食べ物や寝る場所も全く保証されなかったNYでの生活は、彼を精神面で一層強くした。そしてある時、インディペンデント映画『ブラックニンジャ』のオーディションに参加するためにペンシルバニアを訪れる。そこで松崎は見事に600人を抜き、準主役の座を射止めた。
「ストリートでパフォーミングしていた経験のお陰か、今でもオーディションなどでも全く緊張はしませんね。基本的にどんな事にも動じません」
その後、松崎は映画の都ハリウッドへと活動の拠点を移し、コミュニティ・シアターでのパフォーマンスや、インディペンデント映画への出演など、意欲的に俳優としての活動を続けた。そして2003年、トム・クルーズ主演の映画『ラストサムライ』の官憲役で、彼はついにメジャーデビューを果たしたのだ。
--- 「硫黄島からの手紙」で野崎一等兵として出演 ---
クリント・イーストウッド監督による映画「硫黄島からの手紙」。そのキャスティングはある日突然決まった。
「イーストウッド監督が野崎一等兵の役で僕を気に入ってくれて、キャストされたのが撮影の2週間前。台本を渡されたのは撮影の2日前でした」
詳細を聞かされないまま撮影に入った松崎は役作りに没頭する。その意気込みは並大抵のものではなく、食生活まで変えてしまうというストイックなものであった。
「野崎になりきるために、家族の写真や彼が働いていた洋品店の写真を実際に自分で想像して作ったんです。野崎という人間が生まれてからどういう人生を送ってきたかを細かく書き出してみたりもしました。さらに食べ物がないという時代に生きるとはどういう事か、それを実際に再現するために5週間ほとんど何も食べない生活を送ってみたんです。不思議なことに、始めの1週間を超えるとお腹が減らなくなり、2週間過ぎた頃には何も食べなくても大丈夫になりました。それでいて、傍から見たら何も口にしていないとは分からないくらい普通でいられるんです。時々めまいがしたりする事はありましたけどね(笑)そこまでやって初めて戦時中の人の気持ちに共感する事ができたんです」
洞窟内でのシーンを演じるために、滞在先のホテルではバスルームの電気を消したまま冷たい床に座り込み、爆撃音が入ったCDを聞きながら実際の洞窟をイメージしたりもした。
「洞窟内での雰囲気を再現して体験したら、あとは忘れてもいいんです。覚えて演技するのではなく、過去の経験から自然と出てくる行動を演技の中でもすればいい」
そんな松崎の演技に対する情熱は、イーストウッド監督の目にもしっかりと焼き付いていた。監督自身の提案によって野崎一等兵が登場するシーンが次々と付け足されていったという。撮影当時のイーストウッド監督と現場の雰囲気を松崎はこう振り返る。
「実はイーストウッド監督の撮影はリハーサルをほとんどしない。どのシーンもほとんど1テイクで撮り終えるといったユニークなスタイルでした。「演技は一度目が一番光っている」という彼の信条のもとやっていたようです。監督から演技のディレクションは一切受けませんでした。それぞれのシーンで何をするかを軽く説明されてすぐに撮影に入るんです。それだけ役者の演技力を信じてくれているので、プレッシャーもありましたが、とてもやりやすかったですね」
「将来はアメリカ人と同じ土俵で争いたい」と松崎は言う。
「英語での僕の演技を見た人に「この人、日本人だな」と気付かれないようになれれば勝ちですよね(笑)」
--------------------
松崎悠希
Interview by Yuka Kawaguchi, Photo by Yoshihiro Makino
PR
※Post new comment